宮子の竜宮
龍神宮 | |
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龍神宮。 2011年10月23日撮影。 | |
所在地 | 群馬県伊勢崎市宮子町3003番地 |
位置 | 北緯36度19分52.5秒 東経139度10分10.0秒 / 北緯36.331250度 東経139.169444度座標: 北緯36度19分52.5秒 東経139度10分10.0秒 / 北緯36.331250度 東経139.169444度 |
主祭神 | 卯の木大明神(竜宮姫) |
創建 | 5世紀 |
例祭 | 6月28日 |
宮子の竜宮(みやこのりゅうぐう)は、群馬県伊勢崎市宮子町の広瀬川の水底のあるという伝説の舞台。宮子町の竜宮橋の北に竜宮の森と呼ばれる岩山と龍神宮という神社があるが、ここの岩窟とつながっている深い水底に竜宮はあるという。いまもいくつかの伝説が残る[1]。
卯の木大明神の起こり
[編集]以前はこの辺りは卯の木という地名で、卯の木大明神を守り神としていた。卯の木大明神の祭神は竜宮の姫であるという。
履中天皇(在位:400年? - 405年?)の時代。深津(現・前橋市粕川町深津)の
雄略天皇(在位:457年? - 479年?)の皇子・
竜宮の農太鼓
[編集]5月の半夏(新暦の7月2日頃)の10日ほど前になると、川の水底から太鼓のような音が聞こえる。近隣住民はこれを
阿感坊
[編集]天正19年(1591年)、
良直は阿感坊を呼び、竜宮の様子を聞き出そうとした。はじめ阿感坊は「竜宮で口止めされた、話せば命はない」と断るが、良直は話さねば手打ちにすると激しく怒った。 いずれにせよ命はないと覚悟を決めた阿感坊は竜宮の様子を話し始めた。竜宮の1日は地上の1年である(1日のうちに四季の変化があることからそれが分かった[5])こと、建物や食器類が宝石で出来ていたこと、14・5歳から17・8歳の美少女たちが入れ替わり接客?してくれたことなど。また、二匹の白蛇が水中で踊りだすと太鼓の音が響いた。これが竜宮の農太鼓であろうとも話した。これらを話し終えた阿感坊は帰宅するが、その日のうちに死んでしまった。良直は阿感坊を丁重に弔った[7]。
また良直は、阿感坊を自分の墓の隣に葬ってよいと許可した。阿感坊の墓は
出典
[編集]参考文献
[編集]- 金子緯一郎『伊勢崎・佐波の伝説』あかぎ出版、新田郡藪塚本町大字藪塚〈群馬伝説集成 5〉、2003年4月16日。ISBN 4-901189-12-3。
- 伊勢崎市 編『伊勢崎市史 民俗編』伊勢崎市、1989年2月28日。doi:10.11501/9644378。 NCID BN00576157。
- 群馬県史編纂委員会 編『群馬県史 史料編27 民俗3』群馬県、1980年3月31日。doi:10.11501/9641990。 NCID BN07547000。