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宝蓮院 (徳川宗勝正室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宝蓮院(ほうれんいん、1710年11月22日宝永7年10月2日) - 1730年5月8日享保15年3月22日[1])は、江戸時代中期の女性。後の尾張藩第8代藩主・徳川宗勝正室。父は徳川吉通。別名は三姫

生涯

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父は尾張藩第5代藩主の徳川吉通。母は側室の尾上(清水院)[2]

1728年享保13年)9月15日、徳川宗勝(当時は友相と名乗る)の正室となり、1730年享保15年)3月15日に長男(萬彌)を出産[3]。しかし、その7日後に三姫は死去[1]。法号は宝蓮院殿澂誉浄心智泉大姉[4]

脚注

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  1. ^ a b 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.206
  2. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
  3. ^ 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.220
  4. ^ 「徳川諸家系譜4」(1984年