宝江村 (宮城県)
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たからえむら 宝江村 | |
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廃止日 | 1956年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 宝江村、石森町、浅水村、上沼村 → 中田町 |
現在の自治体 | 登米市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 登米郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 18.8 km2 |
総人口 |
7,646人 (『宮城県町村合併誌』、1956年3月31日) |
隣接自治体 | 登米郡:登米町、迫町、石森町、上沼村、浅水村、吉田村、南方村 |
宝江村役場 | |
所在地 | 宮城県登米郡宝江村 |
座標 | 北緯38度42分18秒 東経141度14分18秒 / 北緯38.70511度 東経141.23831度座標: 北緯38度42分18秒 東経141度14分18秒 / 北緯38.70511度 東経141.23831度 |
ウィキプロジェクト |
宝江村(たからえむら)は、昭和31年(1956年)まで宮城県登米郡北部にあった村。現在の登米市中田町宝江黒沼・中田町宝江新井田・中田町宝江森・迫町森にあたる。
沿革
[編集]- 明治8年(1875年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、新井田村と黒沼村が合併して田沼村が成立。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、田沼村と森村が合併して宝江村が発足。
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 石森町・浅水村・上沼村と合併し、中田町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 本吉恒明 | 明治22年(1889年)4月22日 | 明治22年(1889年)6月26日 | |
2 | 五十嵐栄太夫 | 明治22年(1889年)7月4日 | 明治26年(1893年)7月4日 | |
3 | 萩田愛蔵 | 明治26年(1893年)7月19日 | 明治26年(1893年)9月12日 | |
4 | 只野松三郎 | 明治26年(1893年)9月21日 | 明治30年(1897年)9月20日 | |
5 | 及川甚十郎 | 明治30年(1897年)9月22日 | 明治36年(1903年)2月22日 | |
6 | 千葉源太郎 | 明治36年(1903年)2月28日 | 明治38年(1905年)5月19日 | |
7 | 横山常松 | 明治38年(1905年)10月18日 | 明治39年(1906年)6月1日 | |
8 | 伊藤覚三郎 | 明治39年(1906年)12月12日 | 明治41年(1908年)9月3日 | |
9 | 千葉源太郎 | 明治41年(1908年)9月28日 | 大正元年(1912年)9月27日 | 再任 |
10 | 黒田末吉 | 大正2年(1913年)8月13日 | 大正9年(1920年)2月6日 | |
11 | 佐藤甚右ェ門 | 大正10年(1921年)1月19日 | 大正10年(1921年)6月22日 | |
12 | 北川文三郎 | 大正10年(1921年)11月10日 | 大正14年(1925年)11月3日 | |
13 | 佐々木養三郎 | 大正14年(1925年)11月4日 | 昭和4年(1929年)11月3日 | |
14 | 北川武夫 | 昭和5年(1930年)3月1日 | 昭和9年(1934年)3月12日 | |
15 | 佐々木養三郎 | 昭和9年(1934年)3月20日 | 昭和21年(1946年)3月29日 | 再任 |
16 | 畑山新治 | 昭和21年(1946年)3月30日 | 昭和21年(1946年)7月25日 | |
17 | 北川武夫 | 昭和21年(1946年)7月27日 | 昭和31年(1956年)3月31日 | 再任 |
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)