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宝幢寺 (京都市右京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝幢寺(興聖禅寺)
所在地 京都府京都市
山号 覚雄山
宗派 臨済宗
創建年 1379年康暦元年)
開山 春屋妙葩
開基 足利義満
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宝幢寺(ほうどうじ)または興聖禅寺(こうせいぜんじ)は、かつて京都府京都市嵯峨北堀町にあった臨済宗寺院山号は覚雄山 。現在は、開山堂鹿王院のみ現存する[1]

歴史

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臨済宗京都十刹

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1379年康暦元年)足利義満の開基、春屋妙葩を開山とする。

足利義満は夢の中で、今年かならず大病すると告げられた。ただし、一伽藍を建立すれば寿命は延びるとも告げられた。そこで、足利義満は、春屋妙葩を開山として、1379年康暦元年)に、当初は、興聖禅寺と称した宝幢寺を創建し、つづいて開山堂を建てた。さらに、開山堂の周りに野鹿があつまったことで、開山堂を鹿王院と称した[2]

1380年康暦2年)足利義満により準十刹に列せられた後、1386年至徳3年)5月十刹に列せられ、1386年(至徳3年)7月京都十刹に列せられた[1]

一休宗純が、12歳の時に、ここで維摩経の講義を聞いている。宝幢寺は、応仁の乱で、焼失して廃絶するが、鹿王院のみ残ったため寛文年間に酒井忠知が再興し、鹿王院を寺名にした[3]

脚注

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  1. ^ a b 今枝愛真『禅宗の歴史』吉川弘文館、2013年。ISBN 978-4-642-06388-3 
  2. ^ 槇野修『京都の寺社505を歩く』 下、山折哲雄 監修〈PHP新書〉、2007年。ISBN 978-4-569-69248-7 
  3. ^ 竹貫元勝『京都の禅寺散歩』雄山閣、1994年。ISBN 4-639-01245-4