宝寧寺 (長沙市)
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宝寧寺 | |
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宝寧寺 | |
基本情報 | |
所在地 | 中国・湖南省長沙市岳麓区谷山森林公園 |
座標 | 北緯28度16分05秒 東経112度55分05秒 / 北緯28.267934度 東経112.917953度座標: 北緯28度16分05秒 東経112度55分05秒 / 北緯28.267934度 東経112.917953度 |
宗教 | 仏教 |
宗派 | 曹洞宗 |
建設 | |
様式 | 中国伝統建築 |
創設者 | 谷山蔵禅師 |
創設 | 唐 |
完成 | 2009年(再建) |
宝寧寺(ほうねいじ)は、中華人民共和国湖南省長沙市岳麓区谷山森林公園にある仏教寺院。
歴史
[編集]唐のとき、谷山蔵禅師が開基し創建した[1]。927年(天成2年)、高僧の宝寧は雲遊30年後に雲母山に来て、寺を建てることを望んで、宝寧は十国楚の鎮南軍節度使の馬希範(後の文昭王)化縁を探して、寺院が創立した後、楚の武穆王馬殷は賜って宝寧禅寺。
明の永楽年間、洪武帝朱元璋の十九男の谷王朱橞は永楽帝朱棣の打圧と迫害を受けて僧として出家し、雲母山は谷王峰・谷山と改称された。
1927年、長沙郊外の農民協会は宝寧寺で設立され、蕭勁光・滕代遠などはよくここで会議を開いた。日中戦争のとき、湖南仏教慈児院がここに設置されている。
1969年秋、紅衛兵は宝寧寺を平地にし、林場を改築した。
2009年11月22日、岳麓区人民政府は寺院の再建を主宰した。
伽藍
[編集]放生池、山門(天王殿)、鐘楼、鼓楼、伽藍殿、大雄宝殿、禅堂、清規堂、念仏堂、斎堂[2]
文学
[編集]唐代には、斉己が此に遊び、『遊宝寧寺』を留めている:城裏尋常見碧棱、水辺朝暮送帰僧。数峰雲脚垂平地、一径松声徹上層。寒澗不生浮世物、陰崖猶積去年冰。此生有底難抛事、時復携筇信歩登。
ギャラリー
[編集]出典
[編集]- ^ “岳麓区召開谷山宝寧寺恢復重建工作区委聯席会議”. 紅網. (2015年8月18日) 2022年2月27日閲覧。
- ^ 謝倫丁; 張梅 (2010年6月21日). “長沙重建千年古刹宝寧寺 黄花梨木架起大雄宝殿”. 新浪 2022年2月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 『五灯会元』
- 『伝法正宗記』
- 『景徳伝燈録』
- 明嘉靖『湖広図経志書』:「谷山、在城西70里、霊谷深邃、上有梓木洞、其下有龍潭、祷雨輒応。谷山寺、在県西北70里。唐建、本朝洪武中重修。」
- 『明史』:「谷王橞、太祖庶十九子、洪武二十四年封、二十八年就藩宣府、成祖即位、移長沙府。永楽十五年坐謀逆、削為庶人。」
- 清乾隆『長沙府志』:「宝寧禅寺、在谷山、唐三蔵建。」
- 清康熙・釈法鑒『谷山志』:「尤有足異者、谷王以帝子披緇入山、其峰若池、至今冠以王名。山縁王見称、王頼山不朽。人与地、不更相倚重乎?」
- 高山, ed (2018). 『長沙百景』. 北京市: 中国文聯出版社. ISBN 978-7-5190-3862-5
- 万里 (2010). “唐宋潭州谷山寺及其駐錫僧人考”. 『世界宗教研究』 第6期: 1–12. ISSN 1000-4289.