定暹
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定暹(じょうせん、980年頃?-没年不詳)は平安時代の僧侶。紫式部の弟。
概要
[編集]藤原為時の三男で紫式部の腹違いの弟(兄とも)。三井寺(園城寺)の阿闍梨であり、後に式部の父為時もこの寺で出家しているように、紫式部の一門と寺院との間には強い繋がりが存在していた [1]。
長保4年(1002年)、東三条院追善供養の法華八講に延暦寺の僧として出仕、また寛弘8年(1011年)には一条帝の大葬の百僧の中にも選ばれている [2]。
脚注
[編集]- ^ 河出書房新社 1981, p. 80.
- ^ 東方出版 1998, p. 64.
参考文献
[編集]- 『密教占星法と源氏物語: 源氏物語の見失われた構造』(河出書房新社、1981年、80p)
- 『源氏物語と仏教』(東方出版 、1998年、64p)