宗野徳太郎
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1933年1月17日(91歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
この表について
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宗野 徳太郎(そうの とくたろう、1933年1月17日 - )は、静岡県出身の社会人野球選手。内野手。高校野球の指導者。
経歴
[編集]清水中学から静岡城内高校に進学[1]。1年からレギュラーポジションをつかみ、1年夏を皮切りに、3度[2]甲子園に出場。立教大学時代、2学年下の長嶋茂雄をつきっきりで指導したと言われる。全藤倉でプレーしたのち、静岡市の菅野寛也医師[注釈 1]の医院の事務長。1978年、静岡高校創立100年の際には、学校から依頼され静高専任コーチとなり、野島譲監督を支えて甲子園出場を果たした。1981年から代行1年を含め、静岡高校野球部OB会長(第5代)を10年ほど務めた。
立教大学で長嶋茂雄を指導
[編集]長嶋はかつてショートだったが大学時代から本格的にサードに転向し守備を徹底的に鍛えられた。宗野の教えによってミスターの代名詞である「指先を1塁方向へ残すスローイング」(送球の後に右手をヒラヒラと動かす所作)が誕生した。宗野はこの技術的な意味について「サードの場合、三遊間の深いところに打球が来ると体が開きやすく、一塁への悪送球につながりやすい。その開きを抑えるために、投げた後もう一度投げるような、リリースポイントを2つ作るイメージで投げてみるよう教えた。」と語っている。
脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 『静岡高校野球部 誇り高き文武両道 Since1896』 ベースボールマガジン社 2015
- 『月刊長嶋茂雄 vol.3 立教三羽ガラスの「絆」』 (分冊百科シリーズ) ムック 2013.8
関連項目
[編集]- 第31回全国高等学校野球選手権大会(選手)
- 第23回選抜高等学校野球大会(選手)
- 第33回全国高等学校野球選手権大会(選手)
- 第60回全国高等学校野球選手権大会
- 第51回選抜高等学校野球大会
- 第52回選抜高等学校野球大会
- 第64回全国高等学校野球選手権大会