宗岡行為
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時代 | 戦国時代→安土桃山時代 |
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生誕 | 永正元年(1504年)3月 |
死没 | 慶長2年4月23日(1597年6月7日) |
官位 | 従六位上、右兵衛少尉、文殿、外記史生、外記召使、外記内記副使、主水司 |
主君 | 後柏原天皇→後奈良天皇→正親町天皇→後陽成天皇 |
氏族 | 蘇我氏流宗岡氏 |
父母 | 宗岡行宣 |
子 |
青木以栄室(宗岡廉行・宗岡生行母) 養子:宗岡廉行・宗岡生行 |
宗岡 生為(むねおか の ゆきため)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての地下官人。
概要
[編集]『地下家伝』によると、永正元年(1504年)3月に生まれ、同13年(1516年)には右兵衛少尉に任じられた。他にも、年月は不明だが従六位上に叙され、文殿、外記史生、外記召使、外記内記副使、主水司を務めたとされる。慶長2年(1597年)4月23日に94歳で亡くなった[1]。
「本家宗岡家旧記」によると、娘が嫁いだ青木以栄は近江国甲賀郡の人物であるとされる[2]。