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宗安寺 (彦根市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宗安寺
所在地 滋賀県彦根市本町2丁目-3-7
山号 弘誓山
院号 天白院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来(県指定有形文化財
開基 東梅院
文化財 木造阿弥陀如来立像(県指定有形文化財)
絹本著色朝鮮高官像、 紙本金地著色秋草図屏風(市指定有形文化財)
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宗安寺(そうあんじ)は、滋賀県彦根市にある浄土宗寺院山号は弘誓山。本尊阿弥陀如来。。

歴史

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当寺は、井伊直政の正室・東梅院が父母の菩提を弔うために上野国箕輪に建立した安国寺がその起源である。その後、関ヶ原の戦いで東軍が勝つと直政は佐和山城主となる。当寺はそれに伴って箕輪から佐和山の山麓へ移され、宗安寺と改名された[1]

その後、井伊家の居城が新たに彦根山に彦根城として造られることとなると、当寺は新たな城下町の形成に伴って慶長8年(1603年)に現在地に移転した。当寺の山門は赤門と呼ばれ、佐和山城の大手門を移築したものであるという[2]

当寺の本尊である阿弥陀如来立像は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際に落城する大坂城から持ち出された淀殿の念持仏であるという[1]

当寺は、彦根藩における徳川家康公位牌奉安所とされていた他、城下町のほぼ中央に位置することから朝鮮通信使正使宿館に定められている[2]

元禄14年(1701年)の大火では赤門だけが焼け残り、当寺は全焼している。しかし、翌元禄15年(1702年)には廃城となっていた長浜城から御殿が移築されて本堂として復興された[1]

境内

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  • 本堂 - 元禄15年(1702年)に長浜城より現在地に移築。
  • 法然上人像
  • 庫裏
  • 庭園「彼岸白道の庭」 - 白露の庭とも呼ばれる。
  • 行者堂
  • 鐘楼
  • 地蔵堂
  • 木村重成の首塚
  • 黒門
  • 山門(赤門) - もとは佐和山城の大手門で現在地に移築。

文化財

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滋賀県指定有形文化財

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彦根市指定有形文化財

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  • 絹本著色朝鮮高官像 1幅 - 朝鮮・李朝時代。
  • 紙本金地著色秋草図屏風(六曲屏風) - 江戸時代

所在地

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  • 滋賀県彦根市本町2丁目-3-7

アクセス

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脚注

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注釈

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出典

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外部リンク

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