八幡村 (兵庫県加古郡)
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(宗佐から転送)
やはたむら 八幡村 | |
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旧八幡村役場跡にある記念碑 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 印南郡平荘村、上荘村、加古郡八幡村 → 加古川市 |
現在の自治体 | 加古川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 加古郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.4 km2. |
総人口 |
4,191人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 加古川市、三木市、印南郡上荘村、加古郡稲美町 |
八幡村役場 | |
所在地 | 兵庫県加古郡八幡村下村 |
座標 | 北緯34度47分11秒 東経134度54分37秒 / 北緯34.786256度 東経134.910194度座標: 北緯34度47分11秒 東経134度54分37秒 / 北緯34.786256度 東経134.910194度 |
ウィキプロジェクト |
八幡村(やはたむら)は、兵庫県加古郡に属していた村。現在の加古川市八幡地区にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下村、上西条村、中西条村、船町村、宗佐村、野村村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)5月20日 - 合併に向けて、世論調査用紙の発布、回収による住民投票を実施。加古川市との合併が多数を占める。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 印南郡平荘村、上荘村と共に加古川市に編入合併。同日八幡村廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば八幡村の篤農家は、「末澤豊太郎、松尾淳次、岡本信吉、高橋貞吉」などがいた[1]。
教育
[編集]- 兵庫県加古郡八幡村立八幡小学校(現 加古川市立八幡小学校)
- 兵庫県加古川市外二箇村学校組合立山手中学校(現 加古川市立山手中学校)
旧跡
[編集]八幡町
[編集]→「加古川市 § 八幡地区」も参照
現在の加古川市八幡地区:
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 加古川市史 第3巻 記述編
- 加古川市史 第6巻下 史料編
関連項目
[編集]- 岐阜県の廃止市町村一覧
- 山手 (加古川市) - 西条古墳群などがある。神野の一部