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安藤正甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安藤正甫
時代 江戸時代中期
生誕 享保17年(1732年
死没 寛政2年9月19日1790年10月26日
改名 定寿、正甫
別名 岩之丞、次(治)右衛門(通称)、二橋観、二橋庵(号)
墓所 早稲田の龍善寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家重家治家斉
氏族 阿久和安藤家
父母 安藤定殻
中坊秀亨
正武
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安藤 正甫(あんどう まさよし)は、江戸時代中期の旗本茶人通称は岩之丞、次(治)右衛門。号は二橋観、二橋庵。阿久和安藤家7代。

略歴

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安藤定殻の子として誕生。初名を定寿。

寛延2年(1749年)、父が没し家督を継ぐ。宝暦13年(1763年)、武蔵国入間郡内の領地を下総国香取郡内に移される。明和5年(1768年)に小姓組番士、安永8年(1779年)使番となり、布衣を許された。天明8年(1788年)職を辞して寄合となった。田原藩4代藩主・三宅康高に南坊流茶法を学んだ。

寛政2年(1790年)59歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。

系譜

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参考文献

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