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安藤定実 (戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安藤 定実
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 慶長10年(1605年
改名 快翁
別名 満五郎(通称)、稲津甚左衛門
氏族 丹波安藤氏伏見宮邦輔親王の末裔)
父母 父:邦茂王(安藤惟実)
兄弟 定実定元
了翁
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安藤 定実(あんどう さだざね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将稲津甚左衛門とも。

丹波国桑田郡小口村の人物。伏見宮邦輔親王の孫とされる。

概要

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丹波国桑田郡小口村(現在の京都府亀山市)の領主であり、南隣の出雲村に城砦を築いた。

天正7年(1579年)には、織田信長の命を受けた明智光秀に攻められ、城を捨てて逃げた。のち小口村に帰り、慶長10年(1605年)に死去した[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ コトバンク「安藤定実[1]

外部リンク

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