安藤定実 (戦国時代)
表示
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 慶長10年(1605年) |
改名 | 快翁 |
別名 | 満五郎(通称)、稲津甚左衛門 |
氏族 | 丹波安藤氏(伏見宮邦輔親王の末裔) |
父母 | 父:邦茂王(安藤惟実) |
兄弟 | 定実、定元 |
子 | 了翁 |
安藤 定実(あんどう さだざね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。稲津甚左衛門とも。
概要
[編集]丹波国桑田郡小口村(現在の京都府亀山市)の領主であり、南隣の出雲村に城砦を築いた。
天正7年(1579年)には、織田信長の命を受けた明智光秀に攻められ、城を捨てて逃げた。のち小口村に帰り、慶長10年(1605年)に死去した[1]。