コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安藤真児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安藤信二から転送)
安藤 信二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県佐伯市
生年月日 (1970-09-02) 1970年9月2日(54歳)
身長
体重
179 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1988年 ドラフト4位
初出場 NPB/1990年9月27日
TML/2000年
最終出場 NPB/1997年6月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ・監督歴

安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日[1] - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手内野手[1]

来歴・人物

[編集]

佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎津久見)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから4位指名を受け入団。

プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。

1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが[1]、一軍では主に代打での起用が目立った[1]1999年限りで自由契約となり退団した[1]

2000年から2002年まで台湾大連盟の太陽で石井丈裕とともにプレーした[1]

2006年、西武時代の先輩・大塚光二が率いる埼玉県にある社会人野球クラブチームの『一球幸魂倶楽部』の選手兼任コーチに就任する。その後、監督に就任し2012年まで務めた[1]。その他に球団主催の野球教室や、コロナベースボールアカデミー湘南平塚校のコーチとして、子供たちの野球指導に務めた。

その後は、スポーツ用品関係の会社オーイソに勤務しつつ[1]比企郡鳩山町でMAGUS(メガス)ベースボールスクール主任コーチとして、地域に根差した野球指導を展開。初心者から、本格的に高校野球を目指す子供たちの指導に、自らの経験を生かした指導であたっている。

2013年より、同郷の野村昭彦(野村謙二郎元広島監督の実弟)が監督を務める環太平洋大学硬式野球部のコーチとなり[2]2017年明治神宮野球大会準優勝後に監督に昇格した。2022年に野村が監督復帰したことで再びコーチとなった。

2023年からJPアセット証券野球部で監督を務めている[3]2024年をもって同部は休部。

現役時代はその容姿ゆえ女性人気が高かった[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1990 西武 10 17 14 3 4 2 0 0 6 1 0 0 0 0 3 0 0 3 3 .286 .412 .429 .840
1991 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
1992 14 24 20 1 5 1 0 0 6 3 0 0 1 0 3 0 0 3 1 .250 .348 .300 .648
1993 15 19 13 1 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 6 0 0 5 0 .231 .474 .308 .781
1994 13 17 14 1 6 0 0 0 6 7 0 0 0 2 1 0 0 1 1 .429 .412 .429 .840
1995 13 16 13 0 3 1 0 0 4 6 0 1 0 1 2 0 0 3 0 .231 .313 .308 .620
1997 4 4 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .333 .500 .333 .833
NPB:8年 73 99 79 6 22 5 0 0 27 17 0 1 1 3 16 0 0 18 6 .278 .388 .342 .730

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 55 (1989年 - 1996年)
  • 9 (1997年)
  • 66 (1998年 - 1999年)
  • 2 (2000年 - 2002年)

登録名

[編集]
  • 安藤 信二 (あんどう しんじ、1989年 - 1992年)
  • 安藤 真児 (あんどう しんじ、1993年 - 1999年)

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]