安藤真児
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県佐伯市 |
生年月日 | 1970年9月2日(54歳) |
身長 体重 |
179 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト4位 |
初出場 |
NPB/1990年9月27日 TML/2000年 |
最終出場 | NPB/1997年6月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ・監督歴 | |
この表について
|
安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日[1] - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)[1]。
来歴・人物
[編集]佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎(津久見)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。
プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。
1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが[1]、一軍では主に代打での起用が目立った[1]。1999年限りで自由契約となり退団した[1]。
2000年から2002年まで台湾大連盟の太陽で石井丈裕とともにプレーした[1]。
2006年、西武時代の先輩・大塚光二が率いる埼玉県にある社会人野球のクラブチームの『一球幸魂倶楽部』の選手兼任コーチに就任する。その後、監督に就任し2012年まで務めた[1]。その他に球団主催の野球教室や、コロナベースボールアカデミー湘南平塚校のコーチとして、子供たちの野球指導に務めた。
その後は、スポーツ用品関係の会社オーイソに勤務しつつ[1]、比企郡鳩山町でMAGUS(メガス)ベースボールスクール主任コーチとして、地域に根差した野球指導を展開。初心者から、本格的に高校野球を目指す子供たちの指導に、自らの経験を生かした指導であたっている。
2013年より、同郷の野村昭彦(野村謙二郎元広島監督の実弟)が監督を務める環太平洋大学硬式野球部のコーチとなり[2]、2017年の明治神宮野球大会準優勝後に監督に昇格した。2022年に野村が監督復帰したことで再びコーチとなった。
2023年からJPアセット証券野球部で監督を務めている[3]。2024年をもって同部は休部。
現役時代はその容姿ゆえ女性人気が高かった[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 西武 | 10 | 17 | 14 | 3 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | .286 | .412 | .429 | .840 |
1991 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1992 | 14 | 24 | 20 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | .250 | .348 | .300 | .648 | |
1993 | 15 | 19 | 13 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | .231 | .474 | .308 | .781 | |
1994 | 13 | 17 | 14 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | .429 | .412 | .429 | .840 | |
1995 | 13 | 16 | 13 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | .231 | .313 | .308 | .620 | |
1997 | 4 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .333 | .500 | .333 | .833 | |
NPB:8年 | 73 | 99 | 79 | 6 | 22 | 5 | 0 | 0 | 27 | 17 | 0 | 1 | 1 | 3 | 16 | 0 | 0 | 18 | 6 | .278 | .388 | .342 | .730 |
記録
[編集]- 初出場:1990年9月27日、対近鉄バファローズ24回戦(西武ライオンズ球場)、8回表に二塁手として出場
- 初打席:同上、9回裏に吉井理人の前に三振
- 初先発出場:1990年10月1日、対オリックス・ブレーブス24回戦(西武ライオンズ球場)、8番・二塁手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、4回裏に伊藤敦規から適時打
背番号
[編集]- 55 (1989年 - 1996年)
- 9 (1997年)
- 66 (1998年 - 1999年)
- 2 (2000年 - 2002年)
登録名
[編集]- 安藤 信二 (あんどう しんじ、1989年 - 1992年)
- 安藤 真児 (あんどう しんじ、1993年 - 1999年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i ““イケメン選手”新素材メーカーで活躍中!”. zakzak (2012年3月14日). 2012年3月15日閲覧。
- ^ 環太平洋大学硬式野球部
- ^ “監督・コーチ交代のお知らせ | JPアセット証券 野球部”. 2023年1月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 安藤真児 - NPB.jp 日本野球機構