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安芸 守定(あき もりさだ、生没年不詳)は、南北朝時代の医師[1]。
日本における婦人科医の祖とされる人物[1][2]。
安芸平氏の出[2]。延文3年=正平13年(1358年)室町幕府第2代将軍足利義詮の側室、紀良子の出産(のちの第3代将軍の義満)にあたる[1][2]。その功により尚薬となり、嘉慶年間には従四位上に叙し大膳職に任ぜられた[1][2]。安芸家の子孫は代々足利家の産事を掌り、その記録として『御産所日記』がある[1][2]。守定の薬としては産前産後薬「神仙散」が知られる[2]。