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安致溶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安 致溶(アン・チヨン)
Ahn Chi-yong
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 ソウル特別市
生年月日 (1979-02-23) 1979年2月23日(45歳)
身長
体重
183 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 高卒優先指名(2002年入団)
初出場 2002年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

安 致溶アン・チヨン1979年2月23日 - )は、韓国出身の元プロ野球選手

経歴

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アマチュア時代

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高校在学時は、韓国屈指の高校生スラッガーとして光州第一高校の崔熙涉とともに、高校二大巨砲と呼ばれた。後にチームメイトとなる奉重根は高校の後輩。LGツインズからドラフト指名されたが、延世大学校へ進学するため拒否。

大学入学後、1年生ながら4番に抜擢され李賢坤申命澈蔡相秉(チェ・サンビョン)らと強力な打線を形成。しかしその後はケガもあり成績が振るわず、結果的に成績は標準的なものになった。

LG時代

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プロ入りから2007年まで学生時代の輝きを失い、毎年のように1軍と2軍と行き来する結果になった。

2008年は、チームの4番打者崔東洙(チェ・ドンス)や朴龍澤までもがケガで開幕を迎えられず開幕1軍を果たす。プロ入り7年目でようやく初本塁打を放ち、韓国史上13人目のサイクルヒットも達成。次世代の主砲として期待されることに。

しかし2009年は、SKワイバーンズから李晋暎が移籍し、朴龍澤もケガから完全復帰して外野の厚みが増したため出場機会が減少。

2010年にも、李宅根の移籍や李炳圭の韓国復帰でLGの外野の層が厚くなり、前半戦は16試合しか出場できなかった。

SK時代

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同年7月28日金善奎朴顯俊尹耀涉を相手にしたトレードで李載英権容寬崔東秀とともにSKへ移籍。

2011年は7月に4試合連続本塁打を記録するなど、シーズン後半やポストシーズンは打撃好調で初のシーズン2ケタ本塁打を記録した。

2012年以降出場機会が減り、2014年は一軍出場がなく2015年1月現役引退を表明した。

引退後

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2015年より野球解説者に転身し活動中。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 L

G
1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 .000 .000 .000
2003 37 42 5 2 0 0 7 9 4 0 4 12 0 1 .119 .196 .167 .363
2004 22 29 3 2 0 0 5 5 1 0 6 11 0 0 .103 .257 .172 .429
2005 13 7 1 0 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 .143 .143 .143 .286
2006 20 28 2 0 0 0 0 2 0 0 3 8 0 0 .071 .161 .071 .232
2007 12 18 4 1 0 0 1 2 1 0 1 4 0 0 .222 .263 .278 .541
2008 101 370 109 27 3 7 52 46 7 2 39 79 6 2 .295 .362 .441 .803
2009 90 224 53 5 1 5 30 29 3 2 28 47 3 3 .237 .321 .335 .656
2010 S
K
30 48 15 1 0 1 4 3 2 1 9 10 2 0 .313 .421 .396 .817
2011 93 219 68 8 0 12 42 45 3 0 45 56 2 0 .311 .428 .511 .939
2012 92 198 44 10 1 6 23 23 3 0 32 66 3 0 .222 .330 .374 .704
2013 17 41 10 0 0 1 5 2 1 0 4 17 0 0 .244 .311 .317 .628
2014 一軍出場なし
通 算 528 1226 314 56 5 32 169 167 25 5 171 313 16 6 .256 .347 .388 .735

背番号

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  • 61 (2002年 - 2010年途中)
  • 35 (2010年途中 - 同年終了)
  • 23 (2011年 - 2014年)

外部リンク

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