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安直樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安 直樹(やす なおき、1977年10月6日 - )は茨城県ひたちなか市出身の車いすフェンシング選手。元車いすバスケットボール選手。

来歴

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人一倍スポーツが好きで、活発な少年時代を過ごしていたが、14歳の時に左足股関節骨の病気のために手術を受ける。しかし、手術ミスによって、重い後遺症を持つようになった[1]。障害を負った時の気持ちを、「当時自分には、障害者=最悪というイメージがあって、自分がそうなったことのショックが大きかった。同級生に見られるのも嫌だった」と振り返っている。一時は不登校になったが、母の勧めで車椅子バスケの見学に行き、そこで見た障害を感じさせない迫力あるプレーに魅了され、自らも没頭するようになった。ジュニア時代から頭角を現し、後に所属した千葉ホークスでは日本選手権MVPや得点王に選ばれるなど、第一線で活躍する選手に成長し[2]、現在では「手術をミスしてくれて感謝しているぐらい」とコメントしている。

2004年のアテネパラリンピックには日本代表として出場し、さらに2007年から3年間、日本人として初めてイタリアのプロリーグで活躍した。2010年バンクーバーパラリンピックでは聖火ランナーを務めた[1]。イタリアから帰国した後はエイベックスと雇用契約を結び[1]、車椅子バスケチームのNO EXCUSEに所属[2]年俸500万(推定)というトッププロ選手であった。[要出典]

2014年7月、「東京パラリンピックで結果を出したい」との意志から、20年以上のキャリアのある車椅子バスケットからの引退を電撃表明。

引退後は、陸上水泳以外の夏季種目にチャレンジし、2015年3月車椅子フェンシングを始め、翌4月には日本代表に選出[3]。同年7月にはワルシャワで行われたW杯に出場し、全敗で一次リーグ敗退ながら「東京で結果を出すという事を考えれば、行って大正解。それに完封敗けは一度もなかった」と前向きな発言を残した[3]。2020年東京パラリンピック開催時には42歳を迎えるが、「フェンシングに出会えて、本当によかった」と語っている[3]

2017年10月、東京メトロに入社[4]

人物

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  • 車椅子バスケットボールを「イスバス」と呼び、より一般的に認知してもらえるよう積極的に活動をしている。現在ではウェブ辞書でもイスバス(Yahoo辞書)が掲載されるほど広く浸透しており、障害者スポーツの認知や理解獲得に貢献しているアスリートの一人となっている。
  • 日本を代表するアスリートとして活躍するとともに、国内の小中学校等での講演活動も行っている。「僕のプレーを通して“本気で何かを好きになること”の大切さを伝えたい」と語り、障害者のみならず健常者の子供・保護者達にも大きな影響を与えている。

所属クラブ

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個人成績

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脚注

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  1. ^ a b c 第1回 38歳、ゼロから再挑戦 朝日新聞デジタル、2016年3月23日
  2. ^ a b 世界の頂点へ「冷静に、淡々と」歩み続ける SPORTRAIT、2015年11月20日
  3. ^ a b c 37歳、新たな挑戦 車いすフェンシングの安選手 時事ドットコム、2015年12月25日
  4. ^ 東京メトロに車いすフェンシング安直樹選手が入社 東京メトロ、2017年10月2日

関連項目

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外部リンク

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