安田源右衛門
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安田 源右衛門(やすだ げんえもん、明治19年(1886年)10月 - 昭和8年(1933年)9月28日)は、日本の経営者。沖縄軌道代表取締役などを務めた。
来歴・人物
[編集]石川県在籍[1]。1907年東京高等商業学校(現一橋大学)予科入学[2]。1911年同本科卒業[3][4][5][6]。日本郵船入社後[3][4]、弘済丸乗組などを経て[5]、1915年に家督を相続した[1]。
1918年台南製糖入社[3][4]。台南製糖工場長兼主事を経て、1927年台南製糖取締役[3][4]、沖縄第一次健康保険審査会委員[7]。
台南製糖常務取締役と兼務して[8]、1931年からは沖縄軌道代表取締役も務めたが[3][4][9]、1933年に株主総会のため東京に出張した際、急病で入院しそのまま48歳で死去した[10][11][12]。
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信録 9版(昭和6年)
- ^ 官報 1907年07月20日
- ^ a b c d e 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus.
- ^ a b 東京高等商業学校同窓会々員録 明治44年11月改
- ^ 官報 1911年07月11日
- ^ 官報 1927年10月29日
- ^ 近大日本拓殖史
- ^ 官報 1931年11月30日
- ^ 官報 1933年11月22日
- ^ 君死に給うこと勿れアジア文化社
- ^ 同人誌万歳! 岩崎 裕アジア文化社
参考文献
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