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安曇広吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安曇 広吉(あずみ の ひろよし、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族宿禰官位従五位上伊予権介

経歴

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光仁朝宝亀6年(775年)6月に内膳奉膳を務めていたらしく、神今食において天皇への配膳役の席次の前後を高橋波麻呂と相争う。祭儀後、勅判により広吉のみ上中の祓いを科せられた。その後、広吉らは氏記に虚偽を加えて申し立てを行い、前に立って配膳を行うことを許されたという[1]

桓武朝延暦4年(785年従五位下に叙せられ、延暦8年(789年和泉守に任ぜられる。その後、従五位上に昇叙され、桓武朝末の延暦25年(806年安房守任官嵯峨朝弘仁元年(810年薬子の変終結後に伊予権介に任ぜられており、変に連座して左遷されたか。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 『高橋氏文』(『本朝月令』所引)

参考文献

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