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安曇 三国(あずみ の みくに、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は従五位下・防人部領使掾。
孝謙朝の天平勝宝7年(755年)武蔵国防人部領使の掾として筑紫に赴任する途中で[1]、防人が詠んだ和歌20首を大伴家持に伝えた。このうち12首が『万葉集』に採録されている。この時の位階は正六位上。
天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に行われた叙位にて従五位下に叙爵している。
注記のないものは『続日本紀』による。
- ^ 武蔵国は大国であるため掾は2人存在したはずだが、大掾・少掾のいずれであったのかは不明。
- ^ 『万葉集』巻第20-4424番左注