安島丸
安島丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船 |
クラス | 逓信省D型標準船(船尾機関型) |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 |
飯野汽船 飯野海運 |
運用者 |
飯野汽船 飯野海運 大日本帝国陸軍 |
建造所 | 川南工業香焼島造船所 |
母港 |
舞鶴港/京都府 東京港/東京都 |
姉妹船 |
逓信省D型標準船(船尾機関型) 64隻 |
建造費 | 950,000円[1] |
信号符字 | JHLN[2] |
IMO番号 | 46375(※船舶番号)[2] |
建造期間 |
286日 287日 |
就航期間 |
1,603日 1,604日 |
経歴 | |
起工 | 1939年1月25日[3] |
進水 | 1939年6月17日 |
竣工 |
1939年11月6日[3] 1939年11月7日[4] |
最後 | 1944年3月28日被雷沈没 |
要目 | |
総トン数 | 1,910.78トン[3] |
純トン数 | 1,054トン |
載貨重量 |
2,811.54トン[3] 2,786トン[1] |
排水量 | 4,125トン(満載)[3] |
垂線間長 | 82.82m[3] |
型幅 | 12.20m[3] |
型深さ | 6.20m[3] |
高さ |
22.86m(水面からマスト最上端まで) 13.41m(水面からデリックポスト最上端まで) |
満載喫水 | 5.40m[3] |
主機関 | 三連成レシプロ機関 1基[4] |
推進器 | 1軸[4] |
出力 | 1,400IHP[2] |
最大速力 | 12ノット[2] |
航海速力 |
10.0ノット(満載)[3] 10.5ノット[4] |
航続距離 | 10ノットで4,000海里 |
1941年11月17日徴用。 高さは米海軍識別表[5]より(フィート表記)。 |
安島丸(やすしままる)[2]は飯野汽船(後飯野海運[6])の貨物船[3]。
概要
[編集]日之出汽船(現:NYKバルク・プロジェクト貨物輸送)では持ち船の中から浅野造船所内でD型船と呼ばれた1,200トン級貨物船の1隻[7]である「勢洲丸」に改造を施してレール等の長尺物の運搬に適した貨物船の開発・研究を行っており[7]、その設計を基に浅野造船所と共同で開発し、東海道本線丹那トンネル用の25m軌条運搬を目的として1934年(昭和9年)より浅野造船所が建造した長尺物運搬船・八幡丸級は好評を博した[8]。川南豊作が率いる川南工業でも1937年(昭和12年)に八幡丸級と同型である第二靑山丸(靑木洋鐵商店、1,898トン)を香焼島造船所で建造し、その同型船も多数建造した[9]。その他、同型船は大阪造船所、日本海船渠工業、栃木造船所でも建造されている。
船体は船尾機関型を採用しており、船首から前部船倉、船橋、中央船倉、船尾機関室という船型であった。長尺物の輸送に対応するため、船体中央部の船倉口は25mあった[8]。
これら八幡丸級をはじめとする長尺物運搬船65隻は1D型戦時標準船の原型になったため、逓信省D型標準船と呼ばれることもあるが、非公式である。そのため、正確には逓信省標準船ではないが、ここでは便宜上逓信省D型標準船(船尾機関型)として扱う。また、戦後にも建造された船がある[10]。
なお、武洲丸型(浅野造船所D型貨物船)[11]、逓信省D型標準船(船尾機関型)、1D型戦時標準船の他、八幡丸級の設計を流用した1,200トン級の豊国丸級[12]、2,800トン級の五十鈴丸級[13]、その他数隻をまとめて日之出型貨物船と称した[11]。
船歴
[編集]「安島丸」は中国からの石炭や塩、鉄鉱石輸送用として八幡丸級の「民島丸」とともに発注された船で[8][14]、逓信省D型標準船(船尾機関型・第二靑山丸級貨物船)の1隻として川南工業香焼島造船所で建造された[3][9]。1939年(昭和14年)1月25日に起工。同年6月17日に進水し、11月6日[3]ないし7日に竣工した[4]。
1941年(昭和16年)11月17日、日本陸軍が徴用し[3]、陸軍輸送船となる。逓信省D型標準船(船尾機関型)は陸軍としても扱いやすい性能だったようで、ほぼ半数の34隻が陸軍輸送船となった。
1943年(昭和18年)3月、ハンサ輸送に参加[3]。「桃山丸」(山下汽船、5,218トン)、「旺洋丸」(東洋汽船、5,458トン)、「阿蘇丸」(東亜海運、3,028トン)、「帝龍丸」(元ドイツ船アウクスブルク/帝国船舶、6,550トン)、「しどにい丸」(大阪商船、5,436トン)とともに第二十師団の歩兵3個大隊、夜戦道路隊3隊などを乗せ、駆逐艦「秋雲」、「風雲」、「夕雲」、「五月雨」、「皐月」の護衛で3月6日にパラオを出発し、12日にハンサ湾に到着して揚陸を行った[15]。帰路の護衛は「秋雲」と「五月雨」で、途中爆撃を受けて「桃山丸」が沈んだが、他に被害はなく3月18日にパラオに着いた[15]。
1944年(昭和19年)3月28日13時5分頃、シンガポールからメルギーへ向かう途中でイギリス潜水艦「トラキュレント」の雷撃を受け被雷沈没した[4]。船員20名、便乗者18名戦死。沈没地点はベルナム川口南南東25km地点付近、北緯03度38分 東経100度50分 / 北緯3.633度 東経100.833度。
脚注
[編集]- ^ a b #飯野p.452
- ^ a b c d e “安島丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「日本商船隊の懐古No.254」10ページ
- ^ a b c d e f 「思い出の日本貨物船 その298」
- ^ Amakasu_Maru_1_class
- ^ #飯野p.478
- ^ a b “若葉丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
- ^ a b c “八幡丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
- ^ a b “第二靑山丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “紀新丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
- ^ a b #岩重p.45
- ^ “豊国丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年11月1日閲覧。
- ^ “五十鈴丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月1日閲覧。
- ^ #飯野p.452-453
- ^ a b #戦史96p.72
参考文献
[編集]- 飯野海運株式会社社史編纂室(編)『飯野60年の歩み』飯野海運、1959年。
- 岩重多四郎『戦時輸送船ビジュアルガイド2―日の丸船隊ギャラリー』大日本絵画、2011年。
- 「写真シリーズ 思い出の日本貨物船 その298」世界の艦船 2021年6月号、138ページ
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3)』朝雲新聞社、1976年。
- 山田早苗「日本商船隊の懐古No.254」船の科学 53(9)(623)、10-11ページ
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “安島丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月31日閲覧。
- “標準的な長尺物運搬船”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月31日閲覧。
- “安島丸”. 戦没した船と海員の資料館. 2023年10月31日閲覧。