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安島丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安島丸
基本情報
船種 貨物船
クラス 逓信省D型標準船(船尾機関型)
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 飯野汽船
飯野海運
運用者 飯野汽船
飯野海運
 大日本帝国陸軍
建造所 川南工業香焼島造船所
母港 舞鶴港/京都府
東京港/東京都
姉妹船 逓信省D型標準船(船尾機関型)
64隻
建造費 950,000円[1]
信号符字 JHLN[2]
IMO番号 46375(※船舶番号)[2]
建造期間 286日
287日
就航期間 1,603日
1,604日
経歴
起工 1939年1月25日[3]
進水 1939年6月17日
竣工 1939年11月6日[3]
1939年11月7日[4]
最後 1944年3月28日被雷沈没
要目
総トン数 1,910.78トン[3]
純トン数 1,054トン
載貨重量 2,811.54トン[3]
2,786トン[1]
排水量 4,125トン(満載)[3]
垂線間長 82.82m[3]
型幅 12.20m[3]
型深さ 6.20m[3]
高さ 22.86m(水面からマスト最上端まで)
13.41m(水面からデリックポスト最上端まで)
満載喫水 5.40m[3]
主機関 三連成レシプロ機関 1基[4]
推進器 1軸[4]
出力 1,400IHP[2]
最大速力 12ノット[2]
航海速力 10.0ノット(満載)[3]
10.5ノット[4]
航続距離 10ノットで4,000海里
1941年11月17日徴用。
高さは米海軍識別表[5]より(フィート表記)。
テンプレートを表示

安島丸(やすしままる)[2]は飯野汽船(後飯野海運[6])の貨物船[3]

概要

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日之出汽船(現:NYKバルク・プロジェクト貨物輸送)では持ち船の中から浅野造船所内でD型船と呼ばれた1,200トン級貨物船の1隻[7]である「勢洲丸」に改造を施してレール等の長尺物の運搬に適した貨物船の開発・研究を行っており[7]、その設計を基に浅野造船所と共同で開発し、東海道本線丹那トンネル用の25m軌条運搬を目的として1934年昭和9年)より浅野造船所が建造した長尺物運搬船・八幡丸級は好評を博した[8]川南豊作が率いる川南工業でも1937年(昭和12年)に八幡丸級と同型である第二靑山丸(靑木洋鐵商店、1,898トン)を香焼島造船所で建造し、その同型船も多数建造した[9]。その他、同型船は大阪造船所日本海船渠工業、栃木造船所でも建造されている。

船体は船尾機関型を採用しており、船首から前部船倉、船橋、中央船倉、船尾機関室という船型であった。長尺物の輸送に対応するため、船体中央部の船倉口は25mあった[8]

これら八幡丸級をはじめとする長尺物運搬船65隻は1D型戦時標準船の原型になったため、逓信省D型標準船と呼ばれることもあるが、非公式である。そのため、正確には逓信省標準船ではないが、ここでは便宜上逓信省D型標準船(船尾機関型)として扱う。また、戦後にも建造された船がある[10]

なお、武洲丸型(浅野造船所D型貨物船)[11]、逓信省D型標準船(船尾機関型)、1D型戦時標準船の他、八幡丸級の設計を流用した1,200トン級の豊国丸級[12]、2,800トン級の五十鈴丸級[13]、その他数隻をまとめて日之出型貨物船と称した[11]

船歴

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「安島丸」は中国からの石炭や塩、鉄鉱石輸送用として八幡丸級の「民島丸」とともに発注された船で[8][14]、逓信省D型標準船(船尾機関型・第二靑山丸級貨物船)の1隻として川南工業香焼島造船所で建造された[3][9]1939年(昭和14年)1月25日に起工。同年6月17日進水し、11月6日[3]ないし7日に竣工した[4]

1941年(昭和16年)11月17日、日本陸軍が徴用し[3]、陸軍輸送船となる。逓信省D型標準船(船尾機関型)は陸軍としても扱いやすい性能だったようで、ほぼ半数の34隻が陸軍輸送船となった。

1943年(昭和18年)3月、ハンサ輸送に参加[3]。「桃山丸」(山下汽船、5,218トン)、「旺洋丸」(東洋汽船、5,458トン)、「阿蘇丸」(東亜海運、3,028トン)、「帝龍丸」(元ドイツ船アウクスブルク/帝国船舶、6,550トン)、「しどにい丸」(大阪商船、5,436トン)とともに第二十師団の歩兵3個大隊、夜戦道路隊3隊などを乗せ、駆逐艦「秋雲」、「風雲」、「夕雲」、「五月雨」、「皐月」の護衛で3月6日パラオを出発し、12日にハンサ湾に到着して揚陸を行った[15]。帰路の護衛は「秋雲」と「五月雨」で、途中爆撃を受けて「桃山丸」が沈んだが、他に被害はなく3月18日にパラオに着いた[15]

1944年(昭和19年)3月28日13時5分頃、シンガポールからメルギーへ向かう途中でイギリス潜水艦「トラキュレント」の雷撃を受け被雷沈没した[4]。船員20名、便乗者18名戦死。沈没地点はベルナム川口南南東25km地点付近、北緯03度38分 東経100度50分 / 北緯3.633度 東経100.833度 / 3.633; 100.833

脚注

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  1. ^ a b #飯野p.452
  2. ^ a b c d e 安島丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「日本商船隊の懐古No.254」10ページ
  4. ^ a b c d e f 「思い出の日本貨物船 その298」
  5. ^ Amakasu_Maru_1_class
  6. ^ #飯野p.478
  7. ^ a b 若葉丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
  8. ^ a b c 八幡丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
  9. ^ a b 第二靑山丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
  10. ^ 紀新丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月31日閲覧。
  11. ^ a b #岩重p.45
  12. ^ 豊国丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年11月1日閲覧。
  13. ^ 五十鈴丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月1日閲覧。
  14. ^ #飯野p.452-453
  15. ^ a b #戦史96p.72

参考文献

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  • 飯野海運株式会社社史編纂室(編)『飯野60年の歩み』飯野海運、1959年。 
  • 岩重多四郎『戦時輸送船ビジュアルガイド2―日の丸船隊ギャラリー』大日本絵画、2011年。 
  • 「写真シリーズ 思い出の日本貨物船 その298」世界の艦船 2021年6月号、138ページ
  • 防衛研究所戦史室編戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3)』朝雲新聞社、1976年。 
  • 山田早苗「日本商船隊の懐古No.254」船の科学 53(9)(623)、10-11ページ

関連項目

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外部リンク

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  • 安島丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月31日閲覧。
  • 標準的な長尺物運搬船”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月31日閲覧。
  • 安島丸”. 戦没した船と海員の資料館. 2023年10月31日閲覧。