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安孫子孝次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安孫子孝次
あびこ こうじ
あびこ たかつぐ
生年月日 1882年12月16日
出生地 日本の旗 日本 北海道札幌郡琴似村
(現・北海道札幌市西区
没年月日 (1973-03-26) 1973年3月26日(90歳没)
出身校 東北帝国大学農学部卒業
(現・北海道大学農学部
前職 北海道庁職員
所属政党翼賛政治会→)
日本協同党
宗教 キリスト教

選挙区 北海道第1選挙区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
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安孫子 孝次(あびこ こうじ[1] / たかつぐ[2]1882年明治15年)12月16日[2] - 1973年昭和48年)3月26日[1])は、日本の農学者、教育者政治家衆議院議員北海道札幌郡琴似町長

経歴

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北海道札幌郡琴似村屯田兵村(現札幌市西区琴似)で旧会津藩士屯田兵、安孫子倫彦の長男として生まれる[3][4][5]。農作業の経験から、寒冷地農業の確立の志を持つようになる[4]北海道庁立札幌中学校を経て札幌農学校に入学[5]。同校が改称した東北帝国大学農学部を1908年に卒業した[1][5]

卒業後、北海道庁地方農事試験場技手として採用され、北見分場長に就任[1][5]1910年、北海道庁技師・北海道農事試験場渡島支場長に就任[1][5]1927年、北海道農事試験場長となる[3]

北海道の地域別に適切な作物の選定を行い、イネコムギジャガイモなどの品種改良、育種、栽培の研究を進めた[3][4]。また、試験場に農業練習生制度を創設し、農家の子弟の訓練、育成を行い、また実地に農家の指導を行った[4]

1942年4月の第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け北海道第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1]。そのため、戦後に公職追放を受けた[6]

その他、北海道農会長、農地開発営団評議員、北海道教育委員会委員長、琴似町長、北星学園園長・北星学園女子短期大学学長などを務めた[1]

1916年高倉徳太郎より受洗しキリスト教徒となり、札幌琴似教会の創設と発展に中心的な役割を果たした[2]

受章歴

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著作

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  • 小森健治共著『北方農業の経営』北方文化出版社、1942年。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』1頁。
  2. ^ a b c 『日本キリスト教歴史大事典』49-50頁。
  3. ^ a b c d e f 『北海道歴史人物事典』12-13頁。
  4. ^ a b c d 『札幌人名事典』17頁。
  5. ^ a b c d e 『北海道人名辞書』第二版、140頁。
  6. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、4頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室編『札幌人名事典』〈さっぽろ文庫66〉北海道新聞社、1993年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。