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安威孫作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安威孫作
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
主君 豊臣秀吉
氏族 安威氏
父母 安威摂津守[1]
兄弟 孫作八左衛門[1][注釈 1]
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安威 孫作(あい まごさく)は、安土桃山時代武士豊臣秀吉馬廻[2]

経歴

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天正18年(1590年1月17日興福寺釈迦院寛尊らが年賀のために大坂に参じた際、秀吉以下の関係者らに礼物を送った。この際、取次の安威摂津守は留守だったため、子の孫作が代役を務め、銭50疋が贈られた。同年1月22日寛尊が年賀のために大坂城に参じた際は、孫作が取次役となった[3]

文禄元年(1592年3月20日秀吉の朝鮮出兵に際して肥前国名護屋の御詰衆が定められると、孫作は杉原伯耆守早川源三石川仙長束藤三別所孫三郎木下半介徳法軒道茂白井善五郎と共に一番手に属した[2][4]

慶長元年(1596年4月27日秀吉が伏見屋敷に滞在する長宗我部元親の元を訪れた際は、相判衆の伊達政宗の配膳を務めた[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 孫作と八左衛門は同一人物説があり、また、どちらが兄・弟かは不詳である。

出典

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  1. ^ a b 北川央 監修・柏木輝久 編『大坂の陣 豊臣方人物事典』(宮帯出版社、2016年)
  2. ^ a b 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』(新人物往来社、1987年)
  3. ^ 『蓮成院記録』
  4. ^ 『高橋義彦氏所蔵文書』
  5. ^ 『南路志』