安城東映
安城東映 Anjo Toei | |
---|---|
情報 | |
正式名称 | 安城東映 |
旧名称 | 安城座 |
完成 | 1911年 |
開館 | 1911年 |
閉館 | 1984年 |
客席数 |
852席(1953年) 360席(1980年) |
用途 | 劇場・映画館 |
旧用途 | 芝居小屋 |
所在地 |
愛知県安城市末広町6(1953年) 愛知県安城市末広町8-7(1980年) |
位置 | 北緯34度57分22.7秒 東経137度05分02.4秒 / 北緯34.956306度 東経137.084000度座標: 北緯34度57分22.7秒 東経137度05分02.4秒 / 北緯34.956306度 東経137.084000度 |
最寄駅 | 国鉄東海道本線安城駅 |
最寄バス停 | 名鉄バス「末広」停留所 |
安城東映(あんじょうとうえい)は、愛知県安城市にあった劇場・映画館。1911年に安城座(あんじょうざ)として開館し[1]、1959年に安城東映に改称。1984年に閉館した[2]。
データ
[編集]歴史
[編集]安城座
[編集]明治時代末期の1911年(明治44年)に芝居小屋『安城座』として設立・開業される[1]。大正時代末期の1924年(大正13年)には碧海郡安城町(現・安城市)の中心部に帝国館、昭和改元後の1928年(昭和3年)には弥生館も開館し、安城町には3館の演芸場や映画館が集まった。終戦間もない1946年(昭和21年)7月5日には、安城文化協会主催による歌劇『椿姫』が安城座で上演されている[1]。
1948年(昭和23年)に安城町警察が設置されると、約半年後の9月20日には安城座で「安城の自治体警察はどうあるべきか」というテーマの希望討論会が開催された[3]。公安委員長の神谷芳根、安城町警察長の宮崎金義、弁護士の平野安兵衛を招き、約600人が参加する反響があった[3]。1946年(昭和21年)に安城町でも開始された農地改革は1948年(昭和23年)に農地の買収・売渡しの大半が完了し、1948年12月には安城座で地主感謝開会が開催された[4]。小作人側が必要経費を供出し、安城座の特別興行に地主側を招待したのである[4]。1949年(昭和24年)には産業や経済の発展を願う催しとして、安城町役場によって第1回安城発展祭が開催されている。1951年(昭和26年)に開催された第3回安城発展祭の際には、安城座で太平洋戦争の遺家族・未復員未引揚者家族慰労会が行われている[5]。
1950年(昭和25年)には映画と演劇の双方の興行を行っており、映画の観覧者は23,091人、芝居の観劇者は6,245人だった[6]。安城座で開催された碧海農業祭(開催時期不明)ではみどり会が碧海おどりを踊っている[7]。1953年(昭和28年)の安城市には安城座と弥生館の2館の映画館があった[注 1]。木造2階建の安城座は852席を持ち、洋画・邦画を問わず上映した[8]。
安城東映
[編集]1959年(昭和34年)には安城座から安城東映に改称され、東映系の映画館となった。映画最盛期である1960年(昭和35年)の安城市には安城東映、弥生館、南映会館の3館の映画館があった[注 2]が、1962年(昭和37年)には安城日活劇場(後の安城東宝劇場)が開館し、4館となる。だが1968年(昭和43年)に南映会館が閉館し、安城市の映画館は再び3館体制となった。後に弥生館は日活・松竹系となっている。
1970年(昭和45年)の安城東映は東映・大映系だった。1981年(昭和56年)には安城東宝が、1982年(昭和57年)には弥生館が相次いで閉館。最後まで残った安城東映も1984年(昭和59年)に閉館となり、安城座から数えて73年間の歴史にピリオドを打った[2]。これによって安城市から映画館がなくなったが、1995年(平成7年)12月23日に10スクリーンを持つシネマコンプレックスの安城シネマ(現・安城コロナシネマワールド)が開館した。安城東映劇場の跡地は長年駐車場として利用されていたが、土地区画整理事業による市有地有効活用事業で2016年(平成28年)にマンション「グランドメゾン安城」が竣工し、現在(2023年)に至る[10]。
かつて安城市にあった映画館
[編集]画像 | 館名 | 所在地 | 開館年 | 閉館年 |
---|---|---|---|---|
桜井映画劇場 | 安城市の桜井地区[注 3] | 1929年 | 1964年 | |
南映会館 | 安城市日ノ出町3北緯34度57分12.5秒 東経137度05分26.3秒 | 1955年 | 1968年 | |
安城東宝劇場 | 安城市御幸本町7-2北緯34度57分32.8秒 東経137度05分14.2秒 | 1962年 | 1981年 | |
安城座/安城東映 | 安城市末広町8-7北緯34度57分22.6秒 東経137度05分02.4秒 | 1911年 | 1984年 | |
弥生館 | 安城市末広町5-6北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 | 1928年 | 1982年 | |
安城コロナシネマ | 安城市浜富町6−8北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 | 1995年 | 営業中 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1953年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」を参照した[8]。
- ^ 1960年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」を参照した[9]。
- ^ 碧海郡桜井町にあった桜井映画劇場は、桜井町の安城町への編入3年後に閉館している。
出典
[編集]- ^ a b c 安城市史編さん委員会『安城市史 資料編』安城市、1973年
- ^ a b 「雑記帳」『民声新聞』1984年4月15日号
- ^ a b 『新編安城市史 4 通史編 現代』p.43
- ^ a b 『新編安城市史 4 通史編 現代』p.40
- ^ 『新編安城市史 4 通史編 現代』p.28
- ^ 『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 安城』p.147
- ^ 『目でみる碧海の100年』
- ^ a b 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社、1953年。
- ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
- ^ “グランドメゾン安城”. SUUMO物件ライブラリー. リクルートホールディングス (2021年3月). 2023年5月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 『映画館名簿』時事映画通信社、各年度版
- 安城市史編集委員会『新編安城市史 4 通史編 現代』安城市、2008年
- 神谷素光(編著)『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 安城』国書刊行会、1979年
- 神谷素光『目でみる碧海の100年』名古屋郷土出版社、1989年