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安嘉門院高倉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安嘉門院高倉(あんかもんいんのたかくら、生没年不詳[* 1])は、鎌倉時代歌人。父は興福寺別当となった法印親縁源通親の子)とされる[1][2]

生涯

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安嘉門院邦子内親王に出仕、後嵯峨院歌壇等で活躍、『宝治百首』や『続古今和歌集』以降の勅撰集に作品を残している。

作品

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勅撰集
歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数
続後撰和歌集 続古今和歌集 安嘉門院高倉  2 続拾遺和歌集 安嘉門院高倉  2
新後撰和歌集 玉葉和歌集 続千載和歌集
続後拾遺和歌集 安嘉門院高倉  1 風雅和歌集 安嘉門院高倉  2 新千載和歌集 安嘉門院高倉  1
新拾遺和歌集 [* 2] 新後拾遺和歌集 安嘉門院高倉  2 新続古今和歌集
定数歌歌合
名称 時期 作者名表記 備考
宝治百首 1248年(宝治2年)
私撰集
  • 『現存和歌六帖』 1249年(建長元年)
私家集
  • 家集は伝存しない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『宝治百首』の歌人に指名されたことで、1248年時点で二十代(以上)であろうと推定されている(井上(参考文献))。
  2. ^ 新拾遺和歌集』 巻第十二 恋歌二 01008 「きえねたゝ」の歌は、八条院高倉の作として入集しているが、詞書にもある通り『宝治百首』にある歌で、安嘉門院高倉の作。なお、この二人を同一人物とする説もあるが、親縁の娘なら八条院高倉よりかなり若く、また『新時代不同歌合』でも別人とされている等、別人の可能性が高い(安井(参考文献))。

出典

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  1. ^ 葉室定嗣葉黄記』 宝治二年正月十八日条
  2. ^ 安井(参考文献)

参考文献

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  • 井上宗雄 「安嘉門院とその女房たち-阿仏尼序説-」 『鎌倉時代歌人伝の研究』 p230 1999年4月 風間書房 ISBN 978-4759910360
  • 安井久善 『宝治二年院百首とその研究』 1971年11月30日 笠間書院

関連項目

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