安倍正直
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享2年(1685年) |
死没 | 寛保2年6月8日(1742年7月9日)[1] |
別名 | 吉十郎[1]・半五郎[1](通称)、瑞順[1]、長徳院[1] |
戒名 | 行円[1] |
墓所 | 東京都江東区の雲光院[2] |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:安倍瑞屯、養父:安倍瑞運 |
妻 | 永井元安[注釈 1]娘[1] |
子 | 正恵、正義、設楽貞高の妻、石野広道の妻 |
特記 事項 | この家の名字については「安部」「安倍」「阿倍」の表記ゆれがある(安倍順貞を参照) |
安倍 正直(あべ まさなお)は、江戸時代中期の医師。幕府医官・安部長徳院家(600石)4代。号は瑞順。
生涯
[編集]安倍瑞屯(2代安部長徳院)の子。兄・安倍瑞運(3代安部長徳院)の養子となる[1]。『寛政重修諸家譜』によれば、瑞運は瑞屯の婿養子であり[2]、正直は瑞屯の「二男」と扱われている[1]。
宝永6年(1709年)3月12日、兄の死を受けて家督を相続[1]、同年4月18日に徳川家宣に御目見している[1]。
享保9年(1724年)12月22日より小石川養生所の療治を担当し[1]、翌享保10年(1725年)12月18日に免ぜられた[1]。
寛保元年(1741年)7月20日に致仕[1]。家督は子の正恵(宗貞、5代安部長徳院)が継いだ[1]。寛保2年(1742年)6月8日死去[1]、享年58[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第六百四十一
- 『寛政重修諸家譜 第四輯』(国民図書、1923年) NDLJP:1082713/209