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安倍弟当

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安倍 弟当
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不詳
死没 大同3年6月13日808年7月10日
官位 従四位下左中弁
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 安倍氏
父母 父:阿倍意比麻呂(帯麻呂)、母:不詳
兄弟 阿倍行氏、弟当、阿倍箕野、阿倍御嶽麻呂、藤原真楯
不詳
友上、藤原貞雄
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安倍 弟当(あべ の おとまさ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族美作守阿倍意比麻呂(帯麻呂)の子。官位従四位下左中弁

経歴

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宝亀4年(773年従五位下叙爵し、翌宝亀5年(774年主税頭次いで少納言に任ぜられる。桓武朝では、大蔵少輔左右少弁兵部大輔などを歴任する一方、延暦6年(787年)従五位上、延暦20年(801年)従四位下に叙せられている。その後左中弁を務め、延暦23年(804年丹波守を兼ねた。

大同3年(808年)6月13日卒去。最終官位は散位従四位下。

人物

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生まれつき清廉で慎み深い性格であった。朝早くから夜遅くまで公務に就き、歌舞音曲の場に近づかなかった。家風として蓄財に関して何も対応することがなかったという。[1]

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 日本後紀』大同3年6月13日条
  2. ^ a b 『尊卑分脈』
  3. ^ 『華族類別譜』阿部家

出典

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