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守部氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
守部氏
氏姓 守部宿禰
始祖 天忍人命
種別 神別天孫または地祇
本貫 尾張国愛知郡
著名な人物 守部清稲(尾張清稲)
後裔 大喜氏社家
凡例 / Category:氏

守部氏(もりべうじ)は、「守部」をの名とする氏族宿禰

守部宿禰は、尾張氏の族にして同祖である[1]。『日本書紀』によると尾張氏は天火明命を祖神とし、天忍人命から始まる。一方、綿津見神を始祖とする系図もある[2]

尾張国熱田神宮大内人家であり、同社社家大喜(たいき)に同じ。守部の表記は森部にも作る[1]

概要

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尾張氏と同祖であり、朱鳥元年(686年)に守部宿彌孫谷をはじめ、熱田神宮で正六位大内人を24代におよび明治4年(1872年)までの約1200年に渡って奉じた。この他、権宮司祭主、五位職、所被職八剣宮祠官の職も奉じた[1]

延暦元年(782年)に熱田神宮神官である守部公彦正が田光神社を創建した。熱田神宮の真東にあり、熱田神宮の遙拝所であったと伝えられる[3]

貞観16年(874年)に熱田社別当である守部宿彌清稲(尾張清稲とも)は、熱田神宮に関する最古にして根本を成す縁起として知られる『尾張国熱田太神宮縁記(おわりのくにあつただいじんぐうえんぎ)』を作る[4]

建武元年(1334年)には、五所五郎丸(御所五郎丸の子孫)の二代目である大内人の職を継ぐ祭主・幡屋大夫政継があり[5]嘉吉2年(1442年)に同職を継ぐ菖蒲池五郎丸(守部五郎丸)がある[1]

文明2年(1470年)に五位職である守部保當が所被職に補任された[1]

尾張名所図会』によると、愛知郡大喜村には熱田神宮神官である大喜五郎丸(本性は守部宿禰)が熱田に家を移すまでは古来より大喜城あるいは五郎丸屋敷に住んでいたという[6]。『尾張志』は、称諱の大喜は大喜村に由来し、大喜村の村長源蔵が名字を森部といい、神官守部氏が同族であると述べている[7]。熱田神宮社家には、大内人(守部宿禰姓大喜)の他、別に尾張姓庶流の大喜主殿頭(平岩)の一家があるという[8]

系図

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以下は、守部宿禰大内人系図[1]

守部宿彌孫谷1
 
 
守部宿彌清稲
 
 
幡屋大夫政継
 
 
守部五郎丸
 
 
守部清仲
 
 
守部清治
 
 
守部延清
 
 
守部清延24
備前守

関連項目

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出典

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  1. ^ a b c d e f 太田『姓氏家系大辞典、第6巻』国民社、1942年、p 482~483、守部條頁。 
  2. ^ 坂本『日本書紀』岩波文庫、1994年、巻第二の一書(第六第八)頁。ISBN 9784003000410 
  3. ^ 田光神社(田光八幡社)”. 神社人. 2021年3月25日閲覧。
  4. ^ 熱田神宮宮庁『熱田神宮史料 縁起由緒編 解説』熱田神宮宮庁、2002年、13頁。 
  5. ^ 太田『姓氏家系大辞典、第3巻』国民社、1942年、p 41、御所條頁。 
  6. ^ 岡田『尾張名所図会』名古屋温古会、1930年。 
  7. ^ 深田『尾張志 4』博文社、1898年、愛知郡頁。 
  8. ^ 太田『姓氏家系大辞典. 第1巻』国民社、1942年、p 128~131、熱田條頁。