守綱寺 (名古屋市)
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守綱寺 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市中区栄3丁目21-13 |
位置 | 北緯35度09分53.4秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.164833度 東経136.903444度座標: 北緯35度09分53.4秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.164833度 東経136.903444度 |
山号 | 渡辺山[1] |
宗派 | 真宗本願寺派→真宗大谷派[1] |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 諸伝あり(1653年、1649年、1656年)[1] |
法人番号 | 1180005000241 |
守綱寺(しゅこうじ)は、愛知県名古屋市中区栄3丁目にある真宗大谷派の寺院。山号は渡辺山。本尊は阿弥陀如来。徳川十六神将の一人である渡辺守綱を祖とする渡辺家の菩提寺である[1]。
寺史
[編集]尾張藩の家老職を務めた渡辺治綱が、祖父の渡辺守綱を弔うために創建した[1]。
創建年代は諸伝あり、宝暦2年(1752年)の成立[2]とされる「府城志[注 1]」によると承応2年(1653年)、天保12年(1841年)成立[5]の「尾張名所図会[注 2]」によると慶安2年(1649年)、天保14年(1843年)成立[7]の「尾張志[注 3]」によると明暦2年(1656年)という[1]。
開山初代の恵頓は、同じく渡辺治綱が渡辺守綱のため建立した守綱寺と兼任した[1]。
「尾州御領分中寺社領付」によると、尾張藩2代藩主徳川光友が、中島郡苅安賀新田(三条村、現在の一宮市三条)に寺領100石を寄進した[1]。
天保7年(1836年)成立[9]の「三河志」によると真宗本願寺派に属していたが、のち真宗大谷派[1]。
注釈
[編集]- ^ 同書は、尾張藩による公撰の地誌としては最初のもので、元禄11年(1698年)に藩主徳川綱誠の命で編纂が始まった[3]。藩主の死去により編纂は中断したものの、半世紀後の宝暦2年(1752年)に松平君山によって完成をみた[3]。同藩の郷土旧記のなかでは「最も権威あるもの[4]」に位置づけられている。漢文[3]。
- ^ 同書は、江戸中期の旅行ブームに合わせて全国各地で刊行された観光案内書(名所図会)のひとつ[3]で、成立は天保12年(1841年)[6]。尾張藩士岡田啓と野口道直らによって編纂された[6]。前後編から成り、守綱寺のある愛知郡を採録した前編の刊行は天保15年(1844年)[6]。
- ^ 同書は尾張藩士で国学者・儒学者の深田正韶による書[7][8]。「尾張名所図会」とほぼ同時期の成立[3]。編纂には岡田啓も関わっている[7]。平易な和文で書かれている[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、「守綱寺」
- ^ 『角川日本地名大辞典 23愛知県』、p.2067、愛知県参考図書目録、「張州府志」
- ^ a b c d e f 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、巻末・愛知県の文献解題、「地誌類の系譜」
- ^ 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、巻末・愛知県の文献解題、「張州府志」
- ^ 『角川日本地名大辞典 23愛知県』、p.2067、愛知県参考図書目録、「尾張名所図会」
- ^ a b c 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、巻末・愛知県の文献解題、「尾張名所図会」
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 23愛知県』、p.2068、愛知県参考図書目録、「尾張志」
- ^ 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、巻末・愛知県の文献解題、「尾張志」
- ^ 『角川日本地名大辞典 23愛知県』、p.2067、愛知県参考図書目録、「三河志志」
書誌情報
[編集]- 『愛知県の地名(日本歴史地名大系23)』、平凡社、1981年
- 『角川日本地名大辞典 23愛知県』、角川書店、1989年