宇都宮ヒカリ座
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宇都宮ヒカリ座 | |
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情報 | |
通称 | ヒカリ座 |
正式名称 | 宇都宮ヒカリ座 |
開館 | 1955年12月31日 |
客席数 |
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用途 | 映画上映 |
運営 | 株式会社プラザヒカリ |
所在地 |
〒320-0802 栃木県宇都宮市江野町7-13 プラザヒカリビル 5F |
位置 | 北緯36度33分35.8秒 東経139度52分54.3秒 / 北緯36.559944度 東経139.881750度座標: 北緯36度33分35.8秒 東経139度52分54.3秒 / 北緯36.559944度 東経139.881750度 |
最寄駅 | 東武宇都宮駅 |
最寄バス停 | 県庁前、東武駅前[1] |
外部リンク | 宇都宮ヒカリ座 |
宇都宮ヒカリ座は、栃木県宇都宮市江野町にあるミニシアター(映画館)。
概要
[編集]1955年(昭和30年)12月31日[2]に柳勲が創業[3]、1970年(昭和45年)にゲームセンターや飲食店が入居する総合娯楽施設「プラザヒカリ」に建て替えられたが、当時はビルの上階には映画館の設置できない規制があり、スクリーンは地下のみ(現ヒカリ座1 258席)となった。1996年(平成8年)に5階と6階吹き抜けの大型キャバレーを改修し、ヒカリ座2(140席)・3(72席)をオープンした[4]。
プラザヒカリとなってから1970年代後半までは東映の直営として経営されていた。その後は東興映画や東日本映画を経て2003年末からの経営および運営は創業者の長男でプラザヒカリのオーナーでもある柳健[3][5]である。
1990年代はタイタニックや新世紀エヴァンゲリオン劇場版などのメジャー系作品を上映していたが、2012年頃に単館系に方針転換した[2][3]。独自色を打ち出したところ、県内外のファンから愛される映画館となった[2]。
創業者が1953年(昭和28年)に事業譲受した小山市の銀星会館(代表は創業者の孫[6]である柳裕淳)が小山市にて運営の小山シネマロブレと小山シネマハーヴェストウォークは系列である[6][7]。
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プラザヒカリビル外観
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5階
支配人
[編集]We are Movie Lovers.
[編集]若い世代の映画ファンによるヒカリ座を応援するコミュニティFMミヤラジで毎週金曜日21時から1時間の番組[2]。最近のヒカリ座事情のコーナーがあり支配人時代の三井が時々ゲスト出演[6]、支配人退職後は映画愛好家として三井がパーソナリティとして出演することもある[9]。
脚注
[編集]- ^ “GINSEE /宇都宮ヒカリ座”. www.ginsee.jp. 2024年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e 熊崎敬 (2024年5月3日). “「いいとこ取りをしても、却っておかしなことになるだけ」 大胆な方針転換でファンが増えた宇都宮の映画館”. 文春オンライン. 2024年9月24日閲覧。
- ^ a b c ラジカル鈴木 (2018年12月9日). “餃子の街のレトロモダンな映画ビル:ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記”. シネマトゥデイ. 2024年9月24日閲覧。
- ^ 大屋 2017, p. [要ページ番号].
- ^ 土田 2018, p. 75.
- ^ a b c ラジカル鈴木 (2019年2月20日). “未来を見据え先を行く栃木県の映画館”. シネマトゥデイ. 2024年9月24日閲覧。
- ^ “有限会社銀星会館”. 小山商工会議所 (2024年1月1日). 2024年9月24日閲覧。
- ^ We are Movie Lovers. 2024年3月1日の投稿- X(旧Twitter)
- ^ We are Movie Lovers. 2024年8月30日の投稿- X(旧Twitter)
参考文献
[編集]- 大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年12月25日。ISBN 978-4-7778-1990-4。
- 土田環「栃木県宇都宮市中心市街地の衰退と郊外の風景[映画館]|宇都宮ヒカリ座」『映画上映活動年鑑 2017』(PDF)コミュニティシネマセンター、2018年3月、74-81頁。全国書誌番号:23065384 。2024年9月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- 宇都宮ヒカリ座 - GINSEE