コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宇賀田順三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇賀田 順三
人物情報
生誕 (1898-08-10) 1898年8月10日
日本の旗 日本茨城県古河市
死没 1979年5月19日(1979-05-19)(80歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 法学
研究機関 九州帝国大学八幡大学西日本短期大学
学位 法学博士
テンプレートを表示

宇賀田 順三(うがた まさぞう[1][2]、じゅんぞう[3]1898年8月10日 - 1979年5月19日)は、日本法学者。専門は、憲法行政学学位は、法学博士大阪大学論文博士1961年)。九州帝国大学教授、八幡大学(現・九州国際大学)学長・理事長をつとめた。

略歴

[編集]

1898年、茨城県古河市生まれ。

研究内容・業績

[編集]

研究、活動

[編集]
  • 美濃部達吉門下。
  • 東京帝国大学一年時に高等文官試験に一番で合格した[6]
  • 九州帝国大学法文学部初代行政法の教授である。戦前は常に皇祖皇宗の徳による天皇統治國體主義を基本とする国家観を説いた。在職中に学術雑誌「法政研究」を発刊。後北九州にて私立八幡大学の前身となる九州法学校、九州専門学校の基礎を固めた。これらの経緯に関しては当時九州帝国大学総長であった松浦鎮次郎の後ろ盾があったと言われている。
  • 1945年、「皇国体制研究所」を金田平一郎らと共に起こした。これは後の「八幡大学社会文化研究所」の源となる研究機関である。
  • 戦後は日本国憲法は敗戦憲法、移植された憲法、押し付けられた憲法と説き、日本国家の固有の意思に基づき自主的に定められたものではなく、本来の憲法の意義を逸脱し民族性が欠如されたものと訴え、西ドイツボン基本法が民族的自主性を取り入れた模倣例であるとし、一貫して日本国憲法の自主的改正を訴えた[7]。また宇賀田は第六高等学校柔道部での親友、東京大学法学部を通じて以後も永野重雄と永年交友関係があり、戸畑専門学校開設時に於いて水面下で永野の協力があったと言われている[8]
  • 1937年(昭和12年)以降、北九州五都市合併問題の検討に就いて度々論文を発表している[9]
  • 九州大学附属図書館・宇賀田文庫にドイツ法を中心とした約1700冊の書物が収蔵されている[10]

八幡大学事件

[編集]

前身の法学校、専門学校から創設に於いて実質的な八幡大学の真の中心人物といえる宇賀田は1952年に学長に就任した。1954年人事に関し学長の宇賀田と一部教授陣との確執が大学紛争に発展し各メディアで報道される事になった。この八幡大学事件は八幡市長、八幡市議会、八幡商工会議所安川電機株式会社等が両派の斡旋に動き、福岡地方裁判所小倉支部にて調停となったが断裂し、凡そ1年の及ぶ騒動は1955年1月、結局宇賀田の学長辞任(事実上解任)という結果で終止符を打った[11]。 この後宇賀田は西日本短期大学の説立に関わり1960年初代学長に就任した。

人物・交遊

[編集]

主要著書

[編集]
  • 『行政組織』法律学辞典 第1巻 岩波書店 1934年
  • 『地方自治の基本問題』1937年
  • 『地方自治の本義 選挙粛正の考え方』清水書店 1937年
  • 『地方自治制』新法学全集第3巻行政法Ⅱ 1938年
  • 『自治制度改革と特別市政問題』1940年
  • 『皇国民錬成の書』清水書店 1943年
  • 『選挙理論の展開とその実際』清水書店 1945年
  • 『行政観念論』大阪大学 1961年
  • 『日本国憲法の解釈と批判』一粒社 1965年

参考文献

[編集]
  • 『八幡大学史』(学校法人八幡大学 1980年)
  • 『宇賀田順三博士還暦記念法学論文集』(法学論文集出版委員会 一粒社 1966年)

論文

[編集]
  • 宇賀田順三「経済團體としての都市の発展」『法政研究』第1巻第1号、九州大学法政学会、1931年3月、1-102頁、doi:10.15017/14533ISSN 0387-2882NAID 120001280735 
  • 宇賀田順三「美濃部教授『行政法撮要』」『法政研究』第3巻第2号、九州大学法政学会、1933年3月、139-152頁、doi:10.15017/14510ISSN 0387-2882NAID 120001280712 
  • 宇賀田順三「自治の要素に就いて」『法政研究』第5巻第1号、九州大学法政学会、1934年12月、1-56頁、doi:10.15017/14485ISSN 0387-2882NAID 120001280687 
  • 宇賀田順三「シュタイン、シュタイン市制の根本思想とナチス地方制」『法政研究』第6巻第2号、九州大学法政学会、1936年3月、57-110頁、doi:10.15017/14479ISSN 0387-2882NAID 120001280681 
  • 宇賀田順三「警察法序論」『法政研究』第10巻第2号、九州大学法政学会、1940年7月、29-80頁、doi:10.15017/14440ISSN 0387-2882NAID 120001280642 
  • 宇賀田順三「一般組織論」『法政研究』第12巻第1号、九州大学法政学会、1942年1月、1-78頁、doi:10.15017/14412ISSN 0387-2882NAID 120001280614 
  • 宇賀田順三「推薦制度論 : 推薦無投票の理論」『法政研究』第13巻第1号、九州大学法政学会、1943年3月、1-66頁、doi:10.15017/14405ISSN 0387-2882NAID 120001280607 

脚注

[編集]
  1. ^ 九州大学百年史 第1巻 : 通史編 Ⅰ」『九州大学百年史』第3編第6章、九州大学、2017年4月、377頁。 
  2. ^ 九州国際大学同窓会 橘會50年史 資料編年表 まさぞうの記述あり
  3. ^ じゅんぞうの説-昭和18年2月8日発行の著書『皇國民錬成の書』発行清水書店 著作者に(うがたじゅんざう)のフリガナあり
  4. ^ 九州大学法学部の歩み
  5. ^ 宇賀田順三「行政観念論」大阪大学、博士論文(法学)[報告番号不明]、1961年、NAID 500000320416 
  6. ^ 八幡大学史 第1節 学校法人八幡大学 1980年 7頁
  7. ^ 『日本国憲法の解釈と批判』(1965年)より
  8. ^ 八幡大学史 第3節 学校法人八幡大学 1980年 28~30頁
  9. ^ 宇賀田順三博士還暦記念法学論文集 1966年 著作目録 3~8頁
  10. ^ 九州大学附属図書館・宇賀田文庫
  11. ^ 九州国際大学50年史 第五節 大学紛争 学校法人九州国際大学 1997年10月 78~84頁