宇田川玄随
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津山洋学資料館の宇田川玄随像 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1756年1月28日 日本江戸 |
死没 | 1798年2月3日 (42歳没) |
学問 | |
研究分野 | 蘭学・医学 |
宇田川 玄随(うだがわ げんずい、宝暦5年12月27日(1756年1月28日) - 寛政9年12月18日(1798年2月3日))は医学者、蘭学者。名は晋、字は明卿、号は槐園(かいえん)または東海(とうかい)。
経歴
[編集]代々江戸詰の津山藩医を務める家系に生まれる。元来は漢方医であったが、杉田玄白・前野良沢らと交流するうちに蘭学へと転向し、大槻玄沢の芝蘭堂で学ぶ。宇田川玄真は養子。弟子に佐藤信淵など。 墓所は泰安寺(岡山県津山市)にある。
著作
[編集]- 『西説内科撰要』 - ヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』の訳書で日本初の内科書。桂川甫周より与えられた。
- 『内科書付録《製錬術》』 - ステフェン・ブランカールト著の訳書で日本初の製薬化学書。
- 『遠西草木略』
- 『東西病考』
- 『ハルマ和解』 - 編纂に参加・協力。