宇津城
宇津城 (京都府) | |
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別名 | 宇都城[1] |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 大永年間(1521–1528年)前後?[1] |
主な改修者 | 明智光秀 |
主な城主 | 宇津氏、明智光秀 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、堀切、土塁、石垣、虎口[2] |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度08分52.4秒 東経135度34分47.3秒 / 北緯35.147889度 東経135.579806度座標: 北緯35度08分52.4秒 東経135度34分47.3秒 / 北緯35.147889度 東経135.579806度 |
地図 |
宇津城(うつじょう)は、京都府京都市右京区京北下宇津町[3](旧・丹波国桑田郡宇津荘)にあった中世の日本の城。
概要
[編集]下宇津集落の八幡神社背後の山にある城で、標高356m、比高150mの場所に位置する[3]。下宇津集落を挟み、南を流れる桂川に面しているが、日吉ダム対策のための護岸整備に伴って、川沿いの地形は変化している[3]。
築城年代については、大永6年(1526年)に細川高国に味方したとされる宇津頼高の代との推測がある[1](なお、一次史料で確認できる当時の宇津氏当主の名は、頼高でなく元朝[5])。
沿革
[編集]宇津氏は文明年間(1469–1487年)から史料上に姿が見える[5]。
永正8年(1511年)に宇津元朝が細川高国方として出陣するなど、宇津氏は丹波守護である細川高国の被官として活動していた[5]。高国敗死後、宇津氏は細川晴元に従ったが[6]、天文11年(1542年)4月、波多野秀忠と晴元の重臣・三好政長により宇津城が攻められた(『親俊日記』)[7][8]。
晴元が三好長慶と対立した際は、宇津氏は晴元方に付いている[9]。天文18年(1549年)の江口の戦いで京を追われた晴元は、天文21年(1551年)9月末頃、宇津に入り[10]、この地を本拠とした[11]。同年11月、晴元は波多野秀親に対し、「宇津要害」への入城を求めている[12]。
元亀4年(1573年)、将軍・足利義昭と織田信長が対立する最中、宇津長成が御供衆に任じられ、いざという時の義昭の動座先に宇津が位置づけられている[13]。
天正3年(1575年)、宇津氏や内藤氏、赤井氏の討伐のため、信長が明智光秀を丹波に派遣[14]。天正7年(1579年)7月、宇津城は光秀に攻められ落城した[15]。
その後、宇津城は光秀により一部改修されたが[16]、天正9年(1581年)には周山城の築城が完了しており、これにより宇津城の役割は終わったとされる[17]。
遺構
[編集]南北30m、東西30mほどの曲輪I(本丸[1])、その北に南北25m、東西10mほどの曲輪II、さらにその北に南北40m、東西13mほどの曲輪IIIがある[3]。また、曲輪Iの南には腰曲輪IVがあり、山麓から伸びる道がここにつながる[18]。
腰曲輪や、腰曲輪から曲輪Iに入る虎口周辺には石積みがあるが、これらが明智光秀による改修跡とみられる[18]。
アクセス
[編集]自動車
[編集]バス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年、122–123頁。全国書誌番号:80039409。
- ^ 高橋 2019, pp. 148–149.
- ^ a b c d 高橋 2019, p. 148.
- ^ 高橋 2019, pp. 144, 148.
- ^ a b c 高橋 2017, p. 155.
- ^ 高橋 2017, pp. 155–156.
- ^ 高橋 2017, p. 156.
- ^ 福島克彦 著「波多野秀忠・元秀―丹波の覇権を握った京兆家被官」、天野忠幸 編『戦国武将列伝8 畿内編 下』戎光祥出版、2023年、151頁。ISBN 978-4-86403-447-0。
- ^ 高橋 2017, pp. 156–157.
- ^ 福島 2009, pp. 102–105, 110.
- ^ 高橋 2017, p. 157.
- ^ 福島 2009, p. 110.
- ^ 高橋 2017, p. 159.
- ^ 高橋 2017, p. 159; 高橋 2019, pp. 11–13; 福島 2020, pp. 67, 74–79.
- ^ 高橋 2017, p. 159; 高橋 2019, p. 148; 福島 2020, p. 110.
- ^ 高橋 2017, p. 163; 高橋 2019, p. 149.
- ^ 高橋 2019, p. 216.
- ^ a b 高橋 2017, p. 163; 高橋 2019, pp. 148–149.
- ^ a b c “宇津城址”. いけいけ、けいほく!京都京北ナビ. 京北自治振興会 (2021年8月10日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ “時刻表 高雄京北線(京都駅〜立命館大学・高雄・周山)”. 一般路線バス 京都市内. 西日本ジェイアールバス株式会社 (2023年4月1日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ “時刻表 宇津方面”. ふるさとバス. 公益財団法人きょうと京北ふるさと公社 (2022年4月1日). 2023年6月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 高橋成計「丹波宇津氏の動向と城郭遺構―城郭から考察する宇津氏―」『中世城郭研究』第31号、2017年。
- 高橋成計『明智光秀の城郭と合戦』戎光祥出版〈図説 日本の城郭シリーズ13〉、2019年。ISBN 978-4-86403-329-9。
- 福島克彦『畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館〈戦争の日本史11〉、2009年。ISBN 978-4-642-06321-0。
- 福島克彦『明智光秀』中央公論新社〈中公新書〉、2020年。ISBN 978-4-12-102622-4。