宇治達郎
表示
宇治 達郎(うじ たつろう[1][2][注釈 1]、1919年11月25日 - 1980年11月27日[1][3])は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。
経歴
[編集]長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身[4][注釈 2]。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した[1][2]。
卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)[4][2]。1946年に復員し、外科副手となった[1][4][2]。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた[1]。1950年に医学博士を取得した[1]。
胃カメラ開発の3年後に東大病院を辞職し、宇治病院初代院長であった父の元に帰り、開業医として務めた[1][4]。
賞
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 「宇治 達郎」『20世紀日本人名事典』 。コトバンクより2024年8月13日閲覧。
- ^ a b c d “宇治達郎(医師)体内を見る胃カメラを開発し内視鏡検査の基礎を築く 要旨”. 三菱電機. 2024年8月13日閲覧。
- ^ a b c 「宇治達郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2024年8月13日閲覧。
- ^ a b c d “宇治達郎(医師)体内を見る胃カメラを開発し内視鏡検査の基礎を築く”. 三菱電機. 2024年8月13日閲覧。
- ^ “吉川英治文化賞 過去の受賞者一覧”. さいたま市. 2024年8月13日閲覧。
- ^ “さいたま市民栄誉賞 市民栄誉賞受賞者”. さいたま市. 2024年8月13日閲覧。