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宇治田原村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うじたわらむら
宇治田原村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
宇治田原村田原村宇治田原町
現在の自治体 宇治田原町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
綴喜郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 38.85 km2.
総人口 3,956
国勢調査1955年
隣接自治体 京都府宇治市、綴喜郡田原村、相楽郡和束町湯船村
滋賀県大津市甲賀郡信楽町
宇治田原村役場
所在地 京都府綴喜郡宇治田原村大字岩山
座標 北緯34度51分16秒 東経135度51分53秒 / 北緯34.85453度 東経135.86475度 / 34.85453; 135.86475座標: 北緯34度51分16秒 東経135度51分53秒 / 北緯34.85453度 東経135.86475度 / 34.85453; 135.86475
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宇治田原村(うじたわらむら)は、京都府綴喜郡にあった。現在の宇治田原町の東部にあたる。

地理

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歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岩山村・禅定寺村・湯屋谷村・奥山田村および立川村の一部(贄田を除く)の区域をもって発足。
  • 1899年(昭和32年)9月16日 - 湯屋谷郵便局にて郵便為替事務開始(明治32年逓信省告示第254号)。
  • 1922円(大正11年)10月1日 - 宇治田原自動車商会によるバス路線(宇治田原村岩山~宇治町宇治)が開通。
  • 1935年(昭和10年)
    • 8月10日 - 集中豪雨により湯屋谷で山腹崩壊が発生。3人死亡、13人負傷者[1]
    • 10月11日 - 湯屋谷郵便局にて電話通話事務開始(昭和10年逓信省告示第2588号)。
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 湯屋谷郵便局にて電報業務開始
  • 1948年(昭和23年)6月19日 - 宇治田原郵便局にて電話交換業務開始
  • 1956年昭和31年)9月30日 - 田原村と合併して宇治田原町が発足。同日宇治田原村廃止。

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 清水徳右衛門 1889年(明治22年)5月20日 1893年(明治26年)5月19日 旧岩本村総代
2 永谷太郎兵衛 1893年(明治26年)6月20日 1897年(明治30年)1月9日 湯屋谷
3 浅田簾之助 1897年(明治30年)1月10日 1901年(明治34年)7月18日 湯屋谷
4 利田金五郎 1901年(明治34年)8月8日 1905年(明治38年)8月7日 旧奥山田村総代
5 山本廣三郎 1905年(明治38年)9月18日 1917年(大正6年)10月10日
6 永田寅吉 1917年(大正6年)10月11日 1919年(大正8年)12月21日
7 上辻定右衛門 1920年(大正9年)1月16日 1924年(大正13年)1月26日 奥山田「上辻園」
8 藤永萬太郎 1924年(大正13年)2月7日 1928年(昭和3年)2月6日
9 藤田弥三八 1928年(昭和3年)2月15日 1929年(昭和4年)11月24日
10 松本茂左衛門 1929年(昭和4年)11月25日 1931年(昭和6年)4月7日
11 安井安次郎 1931年(昭和6年)4月21日 1932年(昭和7年)8月7日
12 小山忠友 1932年(昭和7年)8月18日 1936年(昭和11年)8月17日
13 大北純一郎 1936年(昭和11年)9月2日 1940年(昭和15年)9月1日
14 藤田弥三八 1940年(昭和15年)9月7日 1943年(昭和18年)1月25日
15 平井忠左衛門 1943年(昭和18年)1月26日 1946年(昭和21年)11月7日
16 辻為右衛門 1946年(昭和21年)11月8日 1947年(昭和22年)4月4日
17 高田国太郎 1947年(昭和22年)4月5日 1952年(昭和27年)7月24日 公選、湯屋谷
18 西出孝太郎 1952年(昭和27年)8月21日 1955年(昭和30年)6月 公選、元禅定寺区長
19 山中不二雄 1955年(昭和30年)6月 1956年(昭和31年)9月29日 公選、合併により退任

施設

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  • 宇治田原郵便局 - 開設時は湯屋谷郵便局(大字湯屋谷小字石詰)、1943年(昭和18年)6月16日現在地へ移転、1948年(昭和23年)6月16日局名改称。

教育

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小学校

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  • 宇治田原村立宇治田原小学校 - 1887年(明治20年)7月岩山尋常小学校として創立、旧維孝館荒木小学校校舎を暫定使用。1891年(明治24年)4月宇治田原第一尋常小学校に校名変更、大字岩山字辻出50へ移転。1998年(明治31年)4月大字岩山小字三百畷の新校舎へ移転、12月宇治田原高等小学校併置。1900年(明治33年)11月宇治田原高等小学校と統合し、宇治田原尋高等常小学校に校名変更。1908年4月大字岩山小字丸山36の現在地に新築移転。1941年(昭和16年)宇治田原国民学校を経て、1947年(昭和22年)4月宇治田原村立宇治田原小学校と改称。
  • 宇治田原村立奥山田小学校 - 1875年(明治8年)6月克明館奥山田小学校として大字奥山田小字宮垣内155長福寺にて創立。1887年(明治20年)7月岩山尋常小学校奥山田分校、1891年(明治24年)4月宇治田原第三尋常小学校、1895年(明治28年)12月宇治田原第二尋常小学校を経て、1899年(明治32年)1月奥山田尋常小学校に校名変更。1941年(昭和16年)奥山田国民学校を経て、1947年(昭和22年)4月宇治田原村立奥山田小学校と改称。

廃校

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  • 宇治田原第一尋常小学校禅定寺分教室 - 1875年(明治8年)8月循誘館禅定寺小学校として禅定寺村字奥谷3(建藤神社境内)にて創立。1887年(明治20年)7月岩山尋常小学校の禅定寺分教室、1891年(明治4年)4月宇治田原第一尋常小学校禅定寺分教室となる。校地は大字禅定寺小字東奥谷2(旧禅定寺会館跡地)。1895年(明治28年)12月廃止。
  • 宇治田原第一尋常小学校湯屋谷分校 - 1875年(明治8年)6月篤信館湯屋谷小学校として大字湯屋谷小字下ノ塔9・10合地にて創立。1887年(明治20年)7月岩山尋常小学校湯屋谷分校、1891年(明治24年)4月宇治田原第二尋常小学校を経て、1895年(明治28年)12月より宇治田原第一尋常小学校湯屋谷分校。1898年(明治31年)4月廃止。
  • 宇治田原第一尋常小学校立川分教室 - 1891年(明治24年)1月宇治田原第一尋常小学校立川分教室として大字立川小字神上5にて創立。1898年(明治31年)4月廃止。

中学校

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参考文献

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  • 角川日本地名大辞典 26 京都府
  • 宇治田原町史第2巻
  • 宇治田原町史資料編篇第1集
  • 宇治田原町史資料編篇第3集
  • 宇治田原町史資料編篇第7集

脚注

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  1. ^ 豪雨で京都東山の稚児ヶ池が決壊『大阪毎日新聞』昭和10年8月11日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p209)

関連項目

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