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孫漱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
孫 漱
各種表記
ハングル 손수
漢字 孫 漱
発音: ソン・ス
日本語読み: そん そう
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孫 漱(そん そう、生没年不詳)は、高句麗長寿王代高句麗将軍[1]

人物

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彼の出自は313年の高句麗による攻撃により崩壊した楽浪郡中国系豪族楽浪孫氏の遺民とみられる[2]。この点について少し述べる。

「孫漱」は漢姓漢名中国人名であるが、高句麗人人名が中国化するのは一般に高句麗滅亡以降である[3]。『三国史記』や『三国遺事』では高句麗・百済・新羅の始祖伝説に中国式の姓が現れるが、それは神話であり事実ではないとする解釈が一般的である[4]。また、『日本書紀』などの日本の文献を見ても7世紀以前の朝鮮半島に漢字の姓氏は見当たらない[5]

北魏の攻撃により、北燕が滅んだことから、436年北燕の第3代天王・馮弘高句麗に亡命した[6]。しかし、高句麗が馮弘を冷遇すると、不満をもった馮弘はと接触した。438年、宋は王白駒を派遣して馮弘を宋に連れ帰ろうとしたが、事態を察知した長寿王は、孫漱と高仇に命じて馮弘と一族約10人を殺害した。その際、王白駒の襲撃を受けて高仇は戦死し、孫漱は捕縛された。その後、高句麗は捕縛した王白駒の身柄を宋に返還したことから、交換条件として孫漱は釈放されたとみられる[1]

出典

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  1. ^ a b 韓国民族文化大百科事典 2022.
  2. ^ 전덕재 (2017). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할”. 東洋學 (檀國大學校東洋學硏究院) 68: 104. ISSN 12293199. 
  3. ^ 文 2020, p. 118.
  4. ^ 21世紀研究会 編『カラー新版 人名の世界地図』文藝春秋〈文春新書〉、2021年11月18日、212頁。ISBN 4-16-661340-5 
  5. ^ 文 2020, p. 117.
  6. ^ 李成市『古代東アジアの民族と国家』岩波書店、1998年3月25日、24頁。ISBN 978-4-00-002903-2 

参考文献

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  • 손수(孫漱)”. 韓国民族文化大百科事典. Academy of Korean Studies. 2022年9月26日閲覧。
  • 文慶喆「韓国人の姓氏と多文化社会」『総合政策論集 東北文化学園大学総合政策学部紀要』第19巻第1号、東北文化学園大学総合政策学部、2020年3月20日、ISSN 1346-8561