孫権培
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孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916年10月6日 - 1990年2月19日)は、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第3代韓国国会議員[1]。
本貫は密陽孫氏[2]。号は民斉(ミンジェ、朝鮮語: 민제/民齊)[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の全羅北道完州郡出身。久留米の明善中学校卒。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として国会議員に当選し、裵恩希の一級参謀を務めたが、裵の失脚後は自由党を離党し民主党に移籍した。他には太白新聞主幹、三南日報社社長、大韓独立促成国民会全羅北道支部宣伝部長、独立闘争委員会全羅北道団団長、大韓青年団全羅北道団団長、国民会全羅北道支部委員長、自由党完州乙区党委員長・全羅北道党副委員長を歴任した[1][3]。晩年は大韓民国憲政会運営委員長を務めた。
1990年2月19日、交通事故に遭い搬送された後に死去。享年74[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “(29)밀양 손씨(密陽孫氏)-274,665명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月7日). 2024年9月28日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “孫權培(손권배) 제3대議員(의원)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1990年2月20日). 2024年9月28日閲覧。