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孫柏芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
孫柏芳
『満洲紳士録』第三版(1940年)
プロフィール
出生: 1891年光緒17年)[1][2][3]
死去: 1946年7月23日
中国共産党解放区熱河省承徳市
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区撫順県[1][2][4]
職業: 官僚・軍人
各種表記
繁体字 孫柏芳
簡体字 孙柏芳
拼音 Sūn Bǎifāng
ラテン字 Sun Pai-fang
和名表記: そん はくほう
発音転記: スン・パイファン(スン・バイファン)
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孫 柏芳(そん はくほう、1891年1946年7月23日)は、中華民国満洲国の官僚・軍人。

事績

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1916年民国5年)、奉天省立法政専門学校政治経済本科を卒業[4]。東三省歩兵第8旅参謀長や東省特別行政長官公署内務科長を経て[1]1927年(民国16年)、東省特別区市政管理局副局長・東三省保安総司令大佐参謀となる。1928年(民国17年)、黒竜江省肇州県長に任命された[2]

満洲国建国後の1933年大同2年)1月、黒竜江省拝泉県長に任命される[2]浜江省実業庁長、内務局監督処長を経て[4]1939年康徳6年)8月、産業部林野局副局長となった[2]1942年(康徳9年)9月29日、三江省長として起用され[5]1945年(康徳12年)5月12日、熱河省長に転じた[6]。なお、満洲国における最後の熱河省長となった。

満洲国崩壊後の1945年11月、中国共産党解放区となった熱河省(熱河民主政府)で、孫柏芳は当局に逮捕される。1946年7月23日、熱河人民特別法廷(人民裁判)において漢奸等の罪で死刑判決を言い渡され、即座に銃殺刑に処された[7]。享年56。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 帝国秘密探偵社編(1943)、「満洲」161頁。
  2. ^ a b c d e 尾崎監修(1940)、24-25頁。
  3. ^ 満蒙資料協会編(1943)、800頁は「光緒18年(1892年)」としているが、帝国秘密探偵社編(1943)と尾崎監修(1940)に従う。
  4. ^ a b c 満蒙資料協会編(1943)、800頁。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、155頁。
  6. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、200頁。
  7. ^ 「熱河人民公審戦犯 巨奸孫柏芳等被槍決 偽蒙疆最高法院推事被処徒刑 認賊作父獰笑幾時売国求栄難逃法網」『人民日報』1946年8月7日、第2版。

参考文献

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  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
盧元善
三江省長
1942年9月29日 - 1945年5月12日
次代
路之淦
先代
姜全我
熱河省長
1945年5月12日 - 8月18日
次代
(廃止)