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孫 奉(そん ほう、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の皇族。揚州呉郡富春県の人[1]。
祖父は孫策。父の孫紹が亡くなると、上虞侯の爵位を継いだ。
建衡2年(270年)、左夫人の王氏を喪った皇帝孫晧は、悲しみのあまり数ヶ月間に渡り、人前に出て来なくなった。そのために孫晧は死んだものと誤解され、孫奉か孫奮が帝位に即くという流言が流れた。これを聞いた孫晧により、孫奉・孫奮らは誅殺された[2]。
- ^ 『三国志』呉書 孫堅伝記載、曾祖父の孫堅の本貫。
- ^ 『三国志』呉書 孫奮伝も参照。ただしこれを建衡2年の出来事とする孫奮伝には、孫奉が誅殺されたことまでは書かれておらず、孫策伝記載の孫奉の死亡時期は確定できない。