学館院
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学館院(がっかんいん)は、大学寮に付属する大学別曹の一つである。
なお『日本文徳天皇実録』[1]には、「学宦院」、『伊呂波字類抄』には「学官院」と表記されている。
概要
[編集]学館院は承和14年(847年)嵯峨天皇の太皇太后橘嘉智子と右大臣橘氏公によって平安京の右京二条西大宮大路に創建され、康保元年(964年)には大学別曹として公認された。しかし、もともと財政基盤が脆弱だったうえ、橘氏の没落によって衰退していった。
しかし、橘氏と縁戚関係にあった藤原氏が是定として相続した[2]。12世紀には既に荒廃していた[3]が、付属の荘園群や地方官への推薦権(年挙)は中世まで残り[4]、学館院別当の称号も名誉職として残った。
脚注
[編集]- ^ 同書・嘉祥3年(850年)5月壬午条
- ^ 九条兼実の『玉葉』安元3年(1177年)6月5日条及び一条兼良の『公事根源』4月・梅宮祭条によれば、藤原兼家の正室藤原時姫の母が中納言橘澄清の娘であったために、澄清の曾孫にあたる関白藤原道隆が是定の地位を獲得し、その弟道長が子孫に継承させたという。
- ^ 『台記』久安3年(1147年)の5月及び7月の条において、平時信が鳥羽法皇に対して学館院の築垣が破壊されて敷地が田地となっている惨状を報告して再建を進言している事が書かれているが、その後再建されたとする記録はなく、再建されなかったものと考えられている。
- ^ ただし、当時年挙の権限を有していた3つの大学別曹のうち、勧学院・奨学院別当の年挙が毎年であったのに対して、学館院のみが隔年であった事実(『職原抄』)からも、その衰退振りが裏付けられる。