嬉野市立塩田小学校
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嬉野市立塩田小学校 | |
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北緯33度07分37.1秒 東経130度02分41.7秒 / 北緯33.126972度 東経130.044917度座標: 北緯33度07分37.1秒 東経130度02分41.7秒 / 北緯33.126972度 東経130.044917度 | |
過去の名称 |
約牖小学校 塩田小学校 公立中等塩田小学校 尋常塩田小学校 塩田尋常小学校 塩田尋常高等小学校 塩田町塩田国民学校 塩田町立塩田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 嬉野市 |
併合学校 | 宮の上尋常小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)11月23日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220900074 |
所在地 | 〒849-1411 |
佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲3817番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
嬉野市立塩田小学校(うれしのしりつ しおたしょうがっこう)は、佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲にある市立の小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1873年(明治6年)創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは2006年(平成18年)。
- 校章
- 桐紋を背景にして、中央に校名の略称「塩小」(縦書き)を配している。
- 校歌
- 作詞は緒方又次、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「塩田」が登場する。
- 校区
- 嬉野市塩田町のうち「町分、塩田、原町、布手、下野辺田、本谷、宮ノ元、畦川内、塩吹、鍋野、南、美野辺田、谷、熊野」。中学校区は嬉野市立塩田中学校[1]。
沿革
[編集]- 1776年(安永5年)-蓮池藩の藩校として塩田学寮が建設される。後に塩田学寮は観瀾亭と改められ 、明治4年まで続き約牖小学校となった[2]。
- 観瀾亭は塩田津にある現・佐賀県立嬉野高等学校校内に設置された[3]。
- 1873年(明治6年)11月23日 - 「第五大学区 第七中学区 第一小学区 約牖小学校」(約牖[4]の読みは「やくゆう」)が創立。
- 塩田津にあった旧頭人役場(現・佐賀県立嬉野高等学校塩田校舎)を校舎として設置された。
- 1874年(明治7年)- 「塩田小学校」に改称。学級を馬場下区・塩田津町分区・下久間区・冬野区・五町田区とする。
- 1875年(明治8年)頃 - 本應寺に教員伝習所が設置される。
- 1883年(明治16年)
- 4月 - 塩吹分校と鍋野分校を設置。
- 10月 - 布手の崇徳教校跡に宮の上小学校が設置される。
- 1884年(明治17年)- 宮の上小学校を統合の上、宮の上分校とする。宮の元・丹生神社境内に校舎が完成。
- 1885年(明治18年)8月 - 「第三番学区 公立中等塩田小学校」に改称。他の小学校を統合の上、分校7校(五町田・谷所・美野・大草野・宮の上・久間山・志田)を設置。
- 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常塩田小学校」に改称。
- 1888年(明治21年)5月10日 - 塩田・久間・五町田三ヶ村組合立 高等塩田小学校が開校。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、馬場下村と大草野村が合併し、塩田村が発足。
- 1891年(明治24年)6月11日 - 高等塩田小学校の校舎が完成。
- 1893年(明治26年)5月 - 高等塩田小学校が「塩田高等小学校」に改称。
- 1895年(明治28年)5月 - 「塩田尋常小学校」に改称。宮の上分校が分離の上、「宮の上尋常小学校」として独立。
- 1896年(明治29年)- 鍋野分教場を廃止し、宮の上尋常小学校に統合。
- 1901年(明治34年)6月 - 子守児童を対象に特別学級を編成。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 改正小学校令により、尋常科が6年制、高等科が2~3年制となる。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 宮の上尋常小学校を統合の上、宮の上分教場とする。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 三ヶ村組合立塩田高等小学校の閉校に伴い、高等科を併置の上、「塩田尋常高等小学校」に改称。
- 宮の上分教場の場所に新校舎が完成し、尋常科の児童を収容。高等科の生徒は旧・塩田高等小学校校舎に収容。
- 1912年(大正元年)10月 - 町、町分の尋常科3年以下の児童を塩田分教場に収容。
- 1918年(大正7年)10月5日 - 塩田村が町制施行により、塩田町となる。
- 1924年(大正13年)4月 - 塩田分教場を廃止。
- 1934年(昭和9年)- 校舎を移転。
- 1935年(昭和10年)- 作法室が完成。
- 1936年(昭和11年)5月 - 講堂が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「塩田町塩田国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1945年(昭和20年)- 校舎裏に炭焼窯を設置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1948年(昭和23年)5月 - 育友会が発足。
- 1954年(昭和29年)5月 - 校舎裏山でがけ崩れが発生。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 校区変更により美野区の5・6年児童が転入。
- 1962年(昭和37年)7月 - 大水害が発生。校舎床上25cm浸水となる。
- 1963年(昭和38年)10月 - 学校給食を開始。
- 1967年(昭和42年)1月 - 給食が自校調理方式から給食センターからの配送方式に変更となる。
- 1968年(昭和43年)4月 - 美野地区の全児童を収容。
- 1973年(昭和48年)
- 3月 - 新校舎が完成。
- 7月 - プールが完成。
- 1974年(昭和49年)
- 3月 - 校旗が寄贈される。
- 5月 - 学校裏に庭園が完成。
- 1980年(昭和55年)
- 3月 - 体育館が完成。
- 11月 - 100年祭記念式典を挙行。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 2町合併により、「嬉野市立塩田小学校」(現校名)に改称。
交通
[編集]- 本校
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 嬉野線「塩田小学校前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道28号嬉野塩田線 「塩田小学校前」交差点
周辺
[編集]- 嬉野市ふれあいセンター
- JAさが唐泉の恵
- 丹生神社
- 塩田川
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「塩田町史 下巻」(1983年(昭和58年), 塩田町史編さん委員会)p.313~p.315, p.324~p.325, p.662~p.663