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姫路客車区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

姫路客車区(ひめじきゃくしゃく)は、兵庫県姫路市にかつて存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両基地である。本項では、前身である姫路客貨車区についても述べる。

概要

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姫路駅構内に存在し、播但線全線と姫新線(姫路駅 - 上月駅間)で運用される客車が所属していた[1]日本国有鉄道時代は大阪鉄道管理局に属し、姫路客貨車区と称していた。

1989年3月11日に姫路運転区姫路派出所(検修部門)と統合し[2][3]1991年4月1日姫路鉄道部に組織変更されて廃止された。

所属車両の車体に記された略号

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所属組織の略号と、姫路の電報略号である「ヒメ」から構成されている。

国鉄時代は大阪鉄道管理局の略号を表す「大」と組み合わせた「大ヒメ」で、国鉄分割民営化後は近畿圏運行本部の略号を表す「近」と組み合わせた「近ヒメ」であった。

所属車両

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1978年10月には旧型客車置き換え用として50系客車が配置され、同年11月1日から播但線全線で、同月10日から姫新線(姫路駅 - 上月駅間)で運用を開始した[4]。1981年3月31日時点では50系客車は配置数は70両となった[4]

1986年11月1日時点では、臨時用として12系客車16両、普通列車用として50系客車57両、救援用として3両(マニ50形客車1両、スエ31形客車1両、オエ70形客車1両)が配置された[1]。救援用車両2両(スエ30形客車1両、オエ70形客車1両)は1987年2月7日付で廃車となった[5]

1990年には、冷房化を目的として12系1000番台客車(近郊形改造施工)が転入し、播但線で同年3月16日から運用された[4]。1991年の姫路鉄道部発足により、所属車両は同鉄道部に引き継がれた。

沿革

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  • 1915年(大正4年)10月12日:姫路列車電灯所が発足[6]
  • 1916年(大正5年)9月:姫路検車区が姫路機関区より分離発足[6]
  • 1923年(大正12年)9月:姫路列車電灯所が姫路車電区へと改名[6]
  • 1951年(昭和26年)4月1日:姫路検車区と姫路車電区が統合し、姫路客貨車区が発足[6]
    • 国鉄高砂工場への入出場を取り扱うため、高砂工場内に高砂派出所が設けられていた[7]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、姫路客貨車区を改組して姫路客車区が発足。
  • 1989年(平成元年)3月11日:姫路運転区姫路派出所(検修部門)と統合[2][3]
  • 1991年(平成3年)4月1日:姫路鉄道部に組織変更されて廃止。

脚注

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  1. ^ a b 『復刻版国鉄電車編成表』1986.11ダイヤ改正、ジェー・アール・アール 、交通新聞社、p.142、ISBN 9784330106090
  2. ^ a b 『車両と電気』第40巻第11号、p.42
  3. ^ a b 『JR気動車客車編成表』、90年版、ジェー・アール・アール、ISBN 4-88283-111-2
  4. ^ a b c 『J-train』Vol.44、イカロス出版、p.43、2011年
  5. ^ 『復刻版国鉄電車編成表』1986.11ダイヤ改正、ジェー・アール・アール 、交通新聞社、pp.212, 213、ISBN 9784330106090
  6. ^ a b c d 『車輌工学』第54巻第8号、p.94
  7. ^ 『車輌工学』第54巻第8号、p.95

参考文献

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  • 卯田忠「落雁のビデオより」『車輌工学』第54巻第8号、鉄道日本社、1985年8月、92 - 95頁。 
  • 三久保忠司(JR西日本姫路客車区長)「感性 現場長日記18」『車両と電気』第40巻第11号、社団法人車両電気協会、1989年11月、42 - 43頁。 
  • 『JR気動車客車情報』'87年版、ジェー・アール・アール、1987年