姜波 (サッカー選手)
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Jiang Bo | |||||
簡体字 | 姜 波 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 中国 | |||||
生年月日 | 1982年1月25日(42歳) | |||||
出身地 | 遼寧省瀋陽市 | |||||
身長 | 187cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
代表歴 | ||||||
2012 | 中国 | 1 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
姜 波(きょう は、ジャン・ボ、1982年1月25日 - )は中華人民共和国遼寧省瀋陽市出身、元同国代表のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
来歴
[編集]父がバスケットボールの選手、母が陸上競技の選手というスポーツ一家に生まれた。子供の頃は体が小さく、痩せていて、病気がちで胃腸も弱く、スポーツ系の遺伝子を引き継いでいるようには見えなかった[1]。
1996年に地元遼寧宏遠のユースでサッカーを始めた。2002年、ユースは葫芦島宏運に名称を変更し、中国2部の甲級B組に昇格。葫芦島宏運はわずか1シーズンしか存在しなかったが、試合に貢献し、クラブの成績はシーズン終了時にB組6位だった[2]。2003年、遼寧宏遠は葫芦島宏運をSVTグループに売却し、名称も南京有有足球倶楽部に変更。クラブの本拠地が江蘇省南京市に移ったため、同市に引っ越した。2006年まで南京有有に所属したが、その間クラブの成績は大きく振るわなかった。
2007年、中国1部の超級(スーパーリーグ)に昇格した杭州緑城に、二番手のキーパーとして移籍する。目覚ましい活躍をしたため、一番手のキーパーとなり、2008年シーズン終了時には計26試合の出場数となった。2009年にも一番手キーパーとしてプレーしたものの、杭州緑城の順位が最下位近くまで下がったため、監督の呉金貴が2010年シーズンの一番手キーパーを韓鋒に変えた。その年、スタメンに復活し、シーズン終了時にクラブがスーパーリーグ4位に上がるまで貢献、AFCチャンピオンズリーグ2011の出場権を獲得した。AFCチャンピオンズリーグでは全試合に出場した。
2012年に岡田武史が杭州緑城の監督に就任してからは、全試合に先発でフル出場した。
所属クラブ
[編集]- 葫芦島宏運 2002
- 南京有有 2003-2006
- 杭州緑城 2007-2014
- → 北京北体大足球倶楽部(期限付き移籍)
- 北京北体大足球倶楽部 2015-2016
- 河北精英足球倶楽部 2017
- 湖南湘涛足球倶楽部 2018
出典
[編集]外部リンク
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