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姜昂(きょう こう、生没年不詳)は、明代の官僚。字は恒頫。本貫は蘇州府太倉州。
姜敏の子として生まれた。1472年(成化8年)、進士に及第した。棗強知県に任じられた。のちに監察御史に転じた。1486年(成化22年)[1]、同僚たちとともに方士の李孜省の罪を弾劾し、午門の外で杖罰を受けた。老齢の母のために南方への転任を求めた。ほどなく河南知府として出向した。のちに寧波知府に転じ、福建左参政に抜擢された。母の介護のために退官を希望し、帰郷した。服喪中に死去した。
子に姜龍があった。
- 『明史』巻165 列伝第53
- 福建布政使左参政姜公墓誌銘(王鏊『震澤集』巻28所収)