姜徳秀
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姜徳秀 강덕수 | |
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生年月日 | 1940年(昭和15年) |
出生地 | 日本統治下朝鮮 黄海道 |
没年月日 | 2007年10月 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 | 金日成勲章 |
親族 |
金日成 康賢洙 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1982年2月28日 - 2007年10月 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) |
人民武力部革命史跡館館長 | |
在任期間 | 1997年12月 - 2007年10月 |
人民武力部長 | 金鎰喆(1997年 - 2007年) |
姜徳秀 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 강덕수 |
発音: | カン・ドクス |
姜 徳秀(カン・ドクス、朝鮮語: 강덕수、1940年 - 2007年10月)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。人民武力部革命史跡館館長、人民武力部総務局長などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将。北朝鮮の初代最高指導者を務めた金日成は母方のいとこで[1]、平壌直轄市党委員会責任書記を務めた康賢洙は兄[1]。
経歴
[編集]1940年に日本統治下の黄海道(現黄海南道)で生まれた[2]。1979年に人民武力部後方総局所属部隊長に任命され[2]、1981年には軍事代表の一員として中華人民共和国を訪問した[2]。1982年に金日成勲章を受賞。1984年に朝鮮人民軍少将に昇進し[2]、1992年には周囲より早く中将に昇進した[2]。その後、人民武力部総務局長を経て[1]、1997年に閑職である人民武力部革命史跡館館長に任命された。中将昇進から9年後の2001年には金日成主席の誕生日である「太陽節」に際して、上将に昇進した[1]。
2007年10月に死去。10月26日に金正日総書記から霊前に花輪が贈られた。同年12月に愛国烈士陵に埋葬された[3]。