妹尾軒作
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府阪南市 |
生年月日 | 1981年3月26日(43歳) |
身長 体重 |
177 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト6巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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妹尾 軒作(せのお けんさく、1981年3月26日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(投手)。選手時代の登録名は「軒作」。
経歴
[編集]小学校2年で野球を始め、中学では泉佐野ボーイズで外野手[1]。大体大浪商高で、2年次からエースとなる。2年夏は5回戦で久保康友がいた関大一高に敗れた[2]。
卒業後は大阪体育大学へ進学、年秋にはリーグ戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成[1]。阪神大学リーグ通算32試合に登板し19勝3敗、防御率1.08、192奪三振。最優秀選手1回、最優秀投手2回、ベストナイン2回受賞。大学選手権、明治神宮大会出場。4年春にはドラフト1位候補だったがその年のドラフト会議では指名されず、卒業後は社会人野球の一光へ入団、1年目に右肘痛のため手術をした。
2005年の大学生・社会人ドラフト6巡目でオリックス・バファローズへ入団。登録名は「軒作」。
ルーキーイヤーの2006年は、二軍でチーム最多の32試合に登板し150km/h台前半のストレートを武器に防御率3.11の成績を残し、セーブも挙げた。シーズン途中からサイドスローに転向、右打者キラーとしてアピールし、先発、中継ぎ、抑えと活躍したが度重なる怪我もあり、二年間を通して一軍に登板できず2007年10月4日に球団から戦力外通告を受けた。メジャーリーグの2Aからのオファーはあったが11月17日に第1回12球団合同トライアウトに参加し、獲得する日本の球団はなかった為現役を引退した。
引退後はフィットネス関連事業を行う会社経営者となった[3]。
その後、父の妹尾隆正が代表を務めるリュウグループの整骨院と野球塾に勤務し、プロ野球選手も輩出している[4]。2014年に鹿児島県薩摩川内市に「軒作整骨院」を開業した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 00 (2006年 - 2007年)
登録名
[編集]- 軒作 (けんさく、2006年 - 2007年)
脚注
[編集]- ^ a b 週刊ベースボール増刊 大学野球2002春季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
- ^ 2006プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ オリックス・軒作「ゼロ」からIT社長!…フィットネス関連事業立ち上げ [リンク切れ] - スポーツ報知(2007年12月30日)
- ^ “第三木曜日担当の妹尾 軒作です♪” (2010年1月20日). 2020年9月18日閲覧。