妙高院
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妙高院(みょうこういん、天正5年(1577年) - 寛永3年6月25日(1626年8月16日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。名は国姫、あるいは熊姫。妙光院とも記される。
生涯
[編集]天正5年(1577年)7月、徳川家康の嫡男・松平信康の次女として岡崎城にて誕生する。母は徳姫(織田信長長女)。
天正7年(1579年)、父・信康が切腹し母・五徳姫が娘たちを残して実家へ戻ると、姉・登久姫と共に祖父・家康と側室・西郡局に養育された。天正18年(1590年)もしくは天正19年(1591年)に、家康の命令で徳川家臣・本多忠政(本多忠勝嫡男)の正室となった。忠政とは仲が良く、3男2女(忠刻・政朝・忠義・国姫〈堀忠俊正室→有馬直純正室〉・亀姫〈小笠原忠脩正室→小笠原忠真正室〉)を儲けた。このうち幕末まで妙高院の血流を保ったのは三男・忠義の系統のみである(ただし、女系で忠刻・国姫・亀姫の系統は続いている)。
寛永3年(1626年)6月25日、夫に先立って死去した。享年50。墓所は姫路城下久松寺(その後奈良県大和郡山市 久松寺[1])。
登場作品
[編集]脚注
[編集]- ^ “曹洞宗妙光院久松寺 久松寺の起源”. 曹洞宗妙光院久松寺. 2023年12月16日閲覧。