妙音院 (徳川家慶側室)
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妙音院(みょうおんいん、? - 安政2年(1855年)[1])は、江戸幕府の12代将軍・徳川家慶の側室。俗名は琴。名は廣。
生涯
[編集]紀伊新宮藩主(紀州藩附家老)水野忠啓の娘として生まれ、旗本・杉重明の養女として預けられていたが、兄の水野忠央が幕政に参加するための糸口として、大奥入りした。
家慶は50代に達していたもののお琴を寵愛し、天保15年(1844年)に十二女・鐐姫、弘化2年(1845年)に十二男・田鶴若、弘化5年(1848年)に十三女・鋪姫、嘉永5年(1852年)に十四男・長吉郎を出産するが、いずれも夭折した。
嘉永6年(1853年)、家慶の死後、お琴の方は落飾し、桜田御用屋敷で過ごしていたが、しばらくして屋敷の改修工事が行われた際に、町男の大工・幸次郎と密通し、後に死去した。死因は頓死であると記録されている(兄忠央に殺されたという説がある)。戒名は妙音院琴譽直弦操心大姉。墓所は増上寺。