妙音寺 (三豊市)
妙音寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 香川県三豊市豊中町上高野1986番地 |
位置 | 北緯34度8分43.9秒 東経133度42分14秒 / 北緯34.145528度 東経133.70389度座標: 北緯34度8分43.9秒 東経133度42分14秒 / 北緯34.145528度 東経133.70389度 |
山号 | 七宝山 |
院号 | 宝積院 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来(国の重要文化財) |
創建年 | 伝・白鳳5年(7世紀後半) |
開基 | 不詳 |
中興年 | 正徳年間(1711年 - 1716年) |
中興 | 旭応 |
正式名 | 七宝山 宝積院 妙音寺 |
別称 | 宝積院 |
札所等 |
四国八十八箇所70番奥の院 新四国曼荼羅霊場19番 四国三十六不動30番 さぬき三十三観音18番 |
文化財 |
木造阿弥陀如来坐像(国の重要文化財) 出土古瓦(県有形文化財) |
法人番号 | 3470005004145 |
妙音寺(みょうおんじ)は香川県三豊市豊中町にある真言宗大覚寺派の寺院。七宝山(しっぽうざん)、宝積院(ほうしゃくいん) [1]と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第七十番札所本山寺奥の院、新四国曼荼羅霊場第十九番札所、四国三十六不動尊霊場第三十番札所、さぬき三十三観音霊場第十八番札所。
概要
[編集]寺伝によれば、飛鳥時代天武天皇治世の白鳳5年(665年または676年)に創建されたと言われ、讃岐国最古の寺院の一つと伝えられる。平安時代初期の弘仁年間(810年 – 824年)嵯峨天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)によって現在の寺号となったと伝えられている。
戦国時代に入り天正2年(1574年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭ったと伝えているが天正2年は長曾我部の侵攻は始まっておらず(実際に長曾我部が侵攻するのは天正6年)、その年に讃岐に攻めているのは三好氏である。この時、本尊の阿弥陀如来は自ら雨を降らせて難を逃れたと伝わっている。 天正の戦火で寺院は荒廃した。その後、江戸時代中期の正徳年間(1711年 – 1716年)旭応阿闍梨によって復興された。また、寛政年間(1789年 – 1801年)に清雅恵洞和尚が伽藍を整備した。
長宗我部の兵火に遭うとの伝承は同じ七宝山ルーツで住職を兼務することもあった延命院・本山寺と同様のものであるが、発掘調査に於いても焼かれたと言う事実は確認されていない。
当寺院に祀られている不動明王は霊験不動尊と言われ、祈念すると夢の中でお告げがあると言われることから、別名「夢見不動」とも呼ばれている。
境内には交通事故犠牲者の霊を祀る聖観音立像があり、これは彫刻家の北村西望が監修して製作されたものである。
仁王門と仁王像と中門と塀が新しくなり、2022年10月29日落慶(予定)
境内
[編集]- 山門(仁王門)
- 中門
- 本堂
- 本尊収蔵庫
- 鐘楼
飛び地境内
- 柴燈護摩道場 不動明王立像
文化財
[編集]- 重要文化財
- 木造阿弥陀如来坐像
- 妙音寺出土古瓦
- 境内周辺から発掘された飛鳥時代のものと推定される瓦である。妙音寺創建時の瓦は宗吉瓦窯で焼かれ、この瓦窯で藤原京の瓦も製造された。「十一葉素弁蓮華文軒丸瓦」「単弁蓮華文方形棰(たるき)先瓦」などの19点が県の有形文化財に指定されている。昭和48年(1973年)5月12日指定[3]。
前後の札所
[編集]- 四国八十八箇所
- 70番 本山寺 -- (1.1 km) -- 70番奥の院 妙音寺 -- (13.1 km) -- 71番 弥谷寺
- 新四国曼荼羅霊場
- 18番 善性院 ---- 19番 宝積院 ---- 20番 延命院
- 四国三十六不動尊霊場
- 29番 本山寺 --(1.1 km)-- 30番 妙音寺 --(15 km)-- 31番 御盥山不動坊
- さぬき三十三観音霊場
- 17番 満願寺 -- (10.5 km) -- 18番 寳積院 -- (10.7 km) -- 19番 覚城院
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 香川県の歴史散歩編集委員会 編『新版 香川県の歴史散歩』山川出版社〈新全国歴史散歩シリーズ, 37〉、1996年、139頁。 NCID BN14477324。全国書誌番号:96067317。
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第9版)、へんろみち保存協力会、2010年。
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 解説編(第7版)、へんろみち保存協力会、2007年。
- 現地説明板