奥田豊三
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奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月20日 - 1983年(昭和58年)10月7日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師、内務官僚。第2代国土地理院長を務めた。
経歴
[編集]富山県富山市出身。第四高等学校理科甲類[1]から1933年(昭和8年)3月31日東京帝国大学理学部天文学科学士試験合格[2]後、東京天文台を経て、1942年(昭和17年)11月10日陸軍技師(高等官六等)に任官[3]し陸地測量部付となる。
終戦を受け陸地測量部解体後、地理調査所を経て、1952年(昭和27年)理学博士(東京大学)[4]、1961年(昭和36年)4月1日国土地理院長に就任。1962年(昭和37年)10月1日に国土地理院長を退官後は緯度観測所長、日本天文学会理事長、日本地図調製業協会会長を務めた。
1983年(昭和58年)10月7日に死去し、没後正四位に叙せられた[5][6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第365号、昭和3年3月19日。
- ^ 『官報』第1893号、昭和8年4月25日。
- ^ 『官報』第4751号、昭和17年11月11日。
- ^ 『西南日本に於ける局部ヂオイド面の変化について』、東京大学、1952年。理学博士。NAID 500000491753
- ^ a b 『官報』第17022号、 昭和58年10月29日。
- ^ a b 『官報』第17024号、 昭和58年11月1日。
- ^ 『官報』号外第34号、昭和53年5月2日。
参考文献
[編集]- 古在由秀「奥田豊三先生を掉む」『天文月報』第77巻第1号、1984年1月、4頁。
- 坪川家恒「奥田豊三博士を偲ぶ」『天文月報』第77巻第1号、1984年1月、5-6頁。
- 清水彊「若き日の奥田さんを追想して」『天文月報』第77巻第1号、1984年1月、6-7頁。
関連項目
[編集]官職 | ||
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先代 武藤勝彦 |
国土地理院長 1961年 - 1962年 |
次代 今澤豊正 |