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奥田栄之進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥田栄之進

奥田 栄之進(おくだ えいのしん、1864年3月11日元治元年2月4日[1]) - 1945年(昭和20年)1月7日[2][3])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員衆議院議員(4期)。

経歴

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奥田清蔵の二男として[1][4]薩摩鹿児島藩日置郡串木野郷麓(鹿児島県日置郡串木野町、串木野市を経て現いちき串木野市)に生まれる[5]1881年(明治14年)7月、家督を相続する[1]。おじ奥田直之助の跡を継いで[6]1898年(明治31年)鹿児島県会議員に当選[2][5]。副議長を経て[1][3][4]1902年(明治35年)同議長に就任[5]。同参事会員も務めた[2][3]

1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では鹿児島県郡部から出馬し当選する[3]立憲政友会に属した[3]。以後、衆議院議員に連続4回当選した[2][3][6]。その後、1925年(大正14年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[7]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任し、在任中は研究会に所属した[2]。議員在任中は串木野港の築港などを推進した[5]

ほか、鹿児島県農会長、南薩鉄道取締役、鹿児島新聞社長[2]、川宮鉄道取締役、串木野製氷社長[3]、鹿児島火山友硅藻工取締役[4]などを歴任した。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1915, を133頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1960, 186頁.
  3. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 118頁.
  4. ^ a b c 人事興信所 1928, オ212頁.
  5. ^ a b c d 竹内ほか 1994, 348頁.
  6. ^ a b 『鹿児島大百科事典』147頁。
  7. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 『鹿児島大百科事典』南日本新聞社、1981年。
  • 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605